「海の沈黙」倉本聰 脚本の〝師匠〟は喫茶店のアベック⁉ 「高倉健に通じる〝間〟を学んだ」
「前略おふくろ様」「ライスカレー」「北の国から」。近年では「やすらぎの郷」――。テレビドラマで昭和、平成の時代を描き続けてきた脚本家の倉本聰。最新作「海の沈黙」(若松節朗監督)は、構想を長年にわたって温めてきたという。まもなく卒寿を迎える大家はしかし、「集大成」というあおり文句を受け流し「まだ書きたい」と意欲を見せる。若き日のシナリオ作りの〝師匠〟、富良野での創作活動を語る内容の随所に「信念」がほとばしっていた。 【写真】「富良野塾」の閉塾式を終え、涙を流す卒塾生と抱き合う倉本聰(手前中央)=北海道富良野市で2010年4月4日、小出洋平撮影
1960年「永仁のつぼ贋作事件」がベース
「海の沈黙」は、倉本のオリジナル脚本。実際にあった事件が物語のベースになっている。1960年、「永仁のつぼ贋作(がんさく)事件」と呼ばれる騒動が起こった。「鎌倉時代に作られた」と伝えられるつぼがあったが、当時、存命だった美術家が「自分が作った」と突如名乗り出た。つぼは重要文化財に指定されていたが、その後、指定を取り消された。 倉本は東京大文学部で美学を学んだのち、ラジオ局のニッポン放送に入社した。前述の事件が起こったのは入社後。当時20代半ばだった倉本は「永仁の壺異聞」という題でラジオドラマを制作し、同年11月に放送。脚本は別の作者に委ね、演出を担った。
鑑定家の一言で価値下落「おかしい」
倉本はその頃からずっと、こんな思いを抱き続けてきた。「きのうまで美しいと認められていたものが、うそだと分かると、一日でその価値が下がってしまう。そのことに非常に疑問を感じましてね。『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系)という番組がありますよね。ある家が『家宝』として長年持っていたものが、鑑定家が『作られた時代が違う』と言うと、価値が失われる、というような。変じゃないか、と僕は思ったんです」 「美術だけじゃない。例えばミシュランが選んだ三つ星レストランの料理もそうでしょう。ある人が一日肉体労働をして、その後に食べる料理はものすごくうまいと感じるはず。学者が、鑑定士が、『価値がない』というと、その価値が潰されてしまう。それはいったいどうなのかという思いは、僕の頭の中からずっと抜けなかった」