「直列8気筒」が生んだエレガントな自動車 30選 前編 戦前戦後の高性能モデル
今となっては珍しい「直8」
新しいエンジンレイアウトが一度人気になると、非常に長く支持され続ける傾向がある。しかし、8本のシリンダーが一列に並んでいる直列8気筒エンジンは、珍しい例外である。 【写真】直8エンジンでル・マン24時間レースに参戦したアメ車【デュポン・モデルG スピードスターの内外装をチェック】 (19枚) 直8のレイアウトは第一次世界大戦直後に導入され、欧州と北米で市販車および競技車両(コンペティションカー)の両方に広く採用された。
直列8気筒エンジン
今ではこのようなレイアウトを見ることは非常に稀である。それにはエンジンが長いというパッケージングの問題や、すべてのシリンダーに効率よく均等に燃料を供給することの難しさなど、さまざまな理由がある。しかし、直8ほど素晴らしいサウンドを奏でるエンジンは他にない。 あらゆるエンジンレイアウトの中でも群を抜いて壮大な直8に敬意を表し、これを搭載した29台の市販車と、その後に登場したコンセプトカーを年代順に紹介しよう。
イソッタ・フラスキーニ・ティーポ8(1919年)
一般に販売された最初の直列8気筒エンジン搭載車として認知されているのが、ティーポ8(Tipo 8)だ。イタリアのイソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)社は排気量5.9Lの直8エンジンを開発し、第一次世界大戦後初の自動車として発売。ライバルであるロールス・ロイスやイスパノ・スイザに対抗する高級車であった。 排気量は後に7.4Lに拡大され、ティーポ8Aと8Bに搭載されたが、後者は1930年代の世界恐慌によって市場を失った。
レイランド・エイト(1920年)
イソッタ・フラスキーニが直8の新たなライバルとして迎えたのが、英国のレイランド(Leyland)が投入したエイト(Eight)だ。後に陸上速度記録を樹立し、記録挑戦中に事故死したジョン・パリー=トーマス(1884~1927年)をチーフエンジニアに迎えて誕生したエイトは、当初6.9Lエンジンを搭載していた。 イソッタ・フラスキーニ社と同様、レイランドも排気量拡大の必要性を感じ、1921年には7.3Lへ拡大したが、その2年後には生産を中止した。
デューセンバーグ・モデルA(1921年)
米国車として初めて直8を搭載したモデルA(Model A)は、当初は単に「ストレート・エイト」と呼ばれていた。排気量4.3Lで、1気筒あたり2つのバルブを使用するオーバーヘッドカムシャフトを備えている。 デューセンバーグ(Duesenberg)は後のモデルJで、1気筒あたり2つのカムと4つのバルブを備えた7.0L直8を導入する。後継車に駆逐されたとはいえ、モデルAは当時、高速の高級車として高く評価されていた。