桜宮高校バスケ部体罰自殺事件を問い直す(上):真面目な子供を死に追いやる「部活」の異常さ
自分で創意工夫する発想を奪う指導
谷が在籍中、桜宮高校は1・2年生時のインターハイ、2年生時のウィンターカップと計3回 、大阪代表として全国大会に出場している。それは一見、成功とも映る。しかし、当然のことながら小村が教師として適切な人間教育を施していたのか? という疑問が湧く。 「小村の下にいれば、思考力はまず伸びません。入学時より間違いなく下がりますね。一方で、心肺能力は上がります。同じ作業を何回もすることによって、操作に慣れる部分もあります。筋力もついたとは思いますが、適切な休息が無かったので、効果的じゃなかったです。 朝は1~2時間、放課後は21時くらいまで、土日祝日は朝から晩まで練習でした。年間を通した休みは3日くらいでしたよ。“勤続疲労”というか、常に故障者が各学年に2名はいました。そんな感じだからか、皆、あんまり身長が伸びないんですよ。高校生年代って、きちんと栄養を摂って休めば、まだある程度は背が伸びますよね。ですが、あの日常で身長が伸びた人は1学年に2人いるかいないかでした」 小村の指導とは一体どんなものだったのか。 「相手に何かを伝えるっていうスタンスが、まるで無いんです。桜宮高校の体育館はバスケットコートが2面あります。男子コートと女子コートで、その間に監督用のごつい椅子や机を並べて、いつもドーンと座っていました。選手を諦めさせてマネージャーに転向させた人間を、常に横に立たせているんですよ。小村がボソっと何か言ったら、マネージャーがチーム全員を集めて、監督の指示だと告げる。とはいえ、単にその日の気分で言葉を発していただけでした。 正直に言うと、よく分からない大人でした。小村はパスには自信があったのか、時々、ポイントガードのポジションから、選手を動かしてパスを見せることを手本としてやっていました。手練れていますが、あくまでも監督を相手に遠慮した高校生を相手にしたシチュエーションですから。シュートやドリブル、ディフェンスなどの技術的な部分を教えることはなかったです。口で言っているだけだから、生徒には分からないんですね」 日本体育大学を卒業した小村だが、バスケットボールの本場アメリカや、日本より格上のアジア強豪国のコーチングは学んではいなかったのか。 「そういう研究をするような人間ではなかったと感じます。そもそもバスケって、シュートが入らなければ勝てないわけですよ。パスをグルグル回していたって、得点にはならない。勝利にも結び付かない。桜宮高校は歴代、セットオフェンスが無茶苦茶下手でした。 今振り返れば、シュート練習が圧倒的に少なかった。自分で創意工夫して、こういうクラッチショットを打ってみたら面白いんじゃないか、みたいな発想さえ奪ってしまう指導でしたね。監督の言うことだけを守っていればいい、逆らうなら試合には出さない、あるいは暴力で口を塞ぐ。恐怖でがんじがらめにして、必死で事に向かわせるのが小村のやり方でした」 筆者はNBAや、米国の小、中、高、大学のトレーニングを目にしたことがあるが、いかなる年代においてもコーチたちは「自分の頭で考えたうえで判断すること」を選手に求めていた。 「私も当初は、監督に従えばいいのだという思考になっていました。パス練習にしても、何千回もやらされれば、10代のなかでは高いレベルになるかもしれません。でも、あの高校から日本トップのリーグで活躍できるまでに育つかと言ったら、そんな選手は一人も出ません。やらされるだけの練習ですから。手っ取り早く高校年代で結果を出すのであれば、選手一人一人に向き合わずに、単なる駒として服従させる方が楽だったのかもしれませんね。 私は1年次のインターハイが終了した時点で、ベンチ入りしたんです。でも、その後、何かが気に入らなかったらしく、『ヘラヘラしている』だの『ふざけている』だのと評価され、外されました。指導者と合わなかったという思いは、ずっとありました。でも、部を辞めてしまうと、学校も辞めなければならないので、それだけの理由で耐えていましたね」