トランス男性の友失った悲しみ繰り返さない 函館の支援団体、ピロシキに「多様性」願う
2013年11月、北海道函館市で一人のトランスジェンダー男性が27歳で自ら命を絶った。「みやも」の愛称で呼ばれた彼の死後、友人の北見伸子さん(51)は多様な性を生きる当事者(LGBTQ+)を支援する団体の代表に就き、活動を続けている。ロシア料理ピロシキをゲイの当事者らと一緒に作って食べる目玉イベントの「ゲイピロ」の開催は15回を数えた。「二度と同じことを繰り返したくない」。少しずつ、でも着実に、理解の輪が広がることを願っている。(共同通信=瀬尾遊) 【写真】パリ五輪ボクシング女子で性別巡る論議
▽カミングアウト 「みやも」こと宮本真人さんとの出会いは2008年。市民が参加してミュージカルをつくるプロ主催の団体に、北見さんが小道具係として、21歳だった宮本さんは役者として参加していた。普段はストリートライブをしたりCDの制作や販売をしたりするミュージシャン。空手も中学生から続け、明るい人柄で周りを楽しませる宮本さんはメンバーの人気者だった。 「自分はトランスジェンダーなんだよ」。宮本さんは、出生時に医師や助産師の判断で割り当てられた性が女性だが、自認する性別が男性という自身のセクシュアリティについて、稽古の合間や飲み会で仲間にオープンにしていた。北見さんの受け止めは「ふーん、そうなんだ」。周囲も同様に素直に受け止めていた。当時はLGBTQという言葉が知られていないときで「それよりも、みやもがお酒を飲み過ぎるから皆で心配したことをよく覚えているかな」と苦笑する。 2人は一緒に劇を作るうちに仲良くなった。北見さんの営む飲食店が函館市の食べ歩きイベント「バル街」に出店した時には、宮本さんが客引きとして手伝いに来てくれた。北見さんは「みやもがギターで弾く『リンダリンダ』に合わせて皆で跳びはねたんだよ」と懐かしそうに語る。
▽苦しみ 宮本さんは、男性として生きることを望みながら女性の体を持っていることへの嫌悪感を抱え、苦しんでいた。13年に出版した自著「僕達みんな一点モノ! 性同一性障害、いじめ、難聴を乗り越えて」には「男の姿を手に入れて戸籍変更を済ませて、かわいい(空手の)道場生や音楽に囲まれながら、幸せな家庭を築いて笑って暮らしたい」とつづった。うつ病や難聴を発症。何度も自殺未遂を繰り返し、2013年11月、帰らぬ人となった。 ただ人前では明朗快活な姿で通した。亡くなる3日前にもミュージカルの公演があり、打ち上げには北見さんも参加していた。「飲み会の時は全く分からなかった。笑顔の裏で考えられないほどのストレスが積み重なっていたんだと思う」と悔やむ。 今思えば、口にしていたのはミュージシャンの命とも言える耳のこと。「聞こえないのがとにかくつらい」。最後となった舞台でもソロパートがあり「ほとんど聞こえない伴奏に合わせて歌えるか」と不安がっていた。本番で見事に歌い上げたのを見て、打ち上げでも「頑張ったね」とねぎらった北見さん。それだけに「音楽が大好きなみやもだから、難聴になったのも相当つらかったんだろう」。