『銭湯図解』の塩谷歩波が語る「こわい」との適切な距離感。公開インタビューをレポート
「こわさを感じなくして」転職を決断
─大学で建築学科に進まれたのは、クリエイターになるための道としてではなかったのでしょうか? 塩谷:建築ってちょっと違うんですよね。完全な芸術の分野じゃなくて理系でもあるし、文系でもあるし、いろいろな要素が絡み合ってできている学問なんです。 デザインの才能やセンスがなかったとしても、ほかのことでカバーできるので、努力でなれるクリエイターなんじゃないかなと思います。大前提として”建築が好き”という気持ちが根底にありますが、食いっぱぐれないようにという打算的な目線もあって建築学科に入りました。 ─絵の世界で食べていこうと思ったきっかけはなんなのでしょうか? 塩谷:決断したのは転職の時だと思います。大学院修了後、設計事務所に入り建築家になろうと思っていたのですが、体調を崩して休職しているときに絵がバズり、その時期に小杉湯の人と出会って転職したんです。 休職期間を終える前に、設計事務所に復職してこの先も建築の分野でやっていくか、番頭兼イラストレーターというふわふわした肩書きになるかの二択でクリエイターの道を選んだのですが、そのときはめちゃくちゃこわかったです。だから、そのときはこわさを感じなくして決断しました。 ─自分のこわがりな感性をオフにしてアクセルを踏む感じですね。そこでしっかりとアクセルを踏めたのがすごいと思います。 塩谷:その決断があったからこそいまここにいるわけなので、結果的には良かったと思う反面、かなりダメージもあります。当時うつの気があるなかでアクセルをベタ踏みしたので反動でハイな状態になってしまいました。 当時新聞やラジオ、テレビでたくさん取材していただいたんですが、ハイな状態で自分のことを話していく内に、オフの自分との差がすごく開いてしまって本当の自分らしさがわからなくなった時がありました。それは感情をオフにした結果、自分の気持ちに蓋をした結果だと思うんです。