「崩れ朽ちる姿は本当の軍艦島ではない」元島民が語る 故郷の島「端島」が引き寄せた58年ぶりの旧友との再会
通称「軍艦島」と呼ばれる端島が閉山して2024年で50年。軍艦島のこれまでの歩みを振り返る企画「端島『軍艦島』閉山50年」の4回目は、端島の元島民に当時の生活の様子を聞いた。また閉山から50年がたち、いま再び全国の注目を集めることになった状況を島民としてどう受け止めているのだろうか。 【画像】「30号棟」の今と昔がわかる模型
「島民はひとつの家族」12年間の記憶が紡ぐ物語
高比良秀信さん(70)は、2023年10月から「軍艦島デジタルミュージアム」のナビゲーターとして、かつて暮らした島の歴史を語り継いでいる。 高比良さんが働く「軍艦島デジタルミュージアム」では、軍艦島の歴史や人々の暮らしを、パネルや写真などで紹介している。「デジタルミュージアム」の名の通り、ドローンで撮影した映像で空から見た島の景色を体感できるコーナーやVR(バーチャルリアリティ)を使って立ち入り禁止区域の建物内部(30号棟など)を見ることができたりと、その魅力を存分に味わうことができるとあって連日多くの人が訪れている。 高比良さんには、12歳まで過ごした島の記憶が鮮明に残されている。「基本的には低学年から野球をすることが多かった。他にもソフトボール、ローラースケートなどで遊んでいた」と幼少時代を振り返る。狭い島内での遊びは、子供たちの創意工夫で満ちていた。 「幼稚園の頃は、アパートの屋上でボールを転がして、それを地面で打つ」という独特の野球スタイルも生まれた。またその暮らしには、“島独特の共同体意識”が根付いていた。「お父さんたちが3交代で炭鉱で働いているので、朝や昼に寝ている人の家の前では騒がないようにとか、子供ながらに色々考えながら生活していた」と高比良さんは説明する。 さらに「(父親が寝ている時など)自分の家であまり子供達が騒げない状態であれば、他のおうちに預かってもらうとか、みんなで協力し合いながらやっていた」と、島民同士の助け合いの精神を語る。そうした島民同士のつながりは閉山から50年たった今もなお続いている。閉山後、全国各地に散り散りとなった元島民たちは、定期的に行われている端島小中学校の同窓会で集まり、交流をしているという。