「崩れ朽ちる姿は本当の軍艦島ではない」元島民が語る 故郷の島「端島」が引き寄せた58年ぶりの旧友との再会
58年ぶりの運命の再会 島がつないだ”縁”
65歳で仕事を辞めて5年後、70歳になった高比良さんは再び故郷に惹(ひ)きつけられるように軍艦島上陸ツアーに申し込もうと問い合わせの電話をかけたことをきっかけに、2023年10月からナビゲーターとして働くようになった。 働き始めて約1年、高比良さんにとって嬉しい出来事があった。端島小学校を卒業して島を離れた後、連絡が取れなくなった同級生が軍艦島デジタルミュージアムを訪れたという。 高比良さんは「館内で見学しているときに『ここはアパートの何号室だ』と話している人がいた。そこまで知っている人はまずいないので『よくご存知ですね』と話をしたら、そこに住んでいた人で話を聞くと偶然にも同級生だった」と再会に驚いたという。 島を離れ12歳で別れてから実に58年ぶりの再会だった。再会を機に他の旧友たちも集まって、今後同窓会を開くことにしているという。閉山から半世紀がたって、島が引き寄せた“縁”だった。
島を離れる瞬間 は「悲しさよりも希望が勝っていた」
1974年の閉山を前に、高比良さん一家は1966年に島を離れた。12歳の少年にとって、その瞬間はどのように感じられたのだろうか。 「僕は島を離れる悲しさよりも、長崎に出ていく希望がものすごく勝っていたなと思います」と高比良さんは振り返る。「島を出たらもっと広い視野が広がると思っていた」が本土での生活には予想外の驚きも待っていた。「端島では狭い島に住宅と学校が密集して建っていたので通学時間はほとんどかからなかった。本土に行って学校一つ行くにしても家から学校が遠かったため驚いた」という。 そして最も驚いたのは意外にも「台風」だった。高比良さんは端島では8階建ての鉄筋コンクリート造りの頑丈な建物に住んでいたことや、風の影響を受けにくい建物の東側に住んでいたため、台風の怖さを体験したことがなかった。しかし、島を出た後の長崎本土での一戸建て生活では、島のように台風の暴風を遮る建物も周囲になかったため、その脅威を直に経験することになったのだ。