【実録 竜戦士たちの10・8】(14)落合博満のFA宣言翌日、横浜は高木豊、屋鋪要ら6選手に解雇通告を行った
1993年11月7日に流れた落合博満の”テレビFA”は、ネットワークの関係で中日、巨人がそれぞれ秋季キャンプ中の沖縄、宮崎ではオンエアされていない。それでも、このオフの主役の動きは、たちまち両球団にも伝わった。 中日の沖縄の宿舎に「落合がテレビでFAするらしい」との情報が入ったのは、ちょうどスタッフ会議が始まる午後9時半頃。高木守道監督は「新聞などで見るだけだけど、流れはそうだったからね」と、冷静に主砲のFA宣言を受け止めた。 一方、巨人の長嶋茂雄監督は「本当に、そう言ったの?」と驚きの表情を見せながらも、慎重に言葉を選びながら報道陣に対応した。 「時間的にはまだ余裕があるし、性急にどうのこうのということではない。まあ、現場だけで決められる問題ではありませんから。代表もいろいろ考えているだろうし、そう(交渉可能期間に)なってから検討することになるでしょうね」 とはいえ、落合の評価を問われると「バッターとしては認めていますよ。巨人の選手にはないものを持っているし、周りへの影響力もありますからねえ」。こう笑顔で答えると、最後には「獲得へ向かって、調査することになるでしょう」と獲得に動くことを認めた。 翌8日には落合自ら東京都千代田区のコミッショナー事務局に向かい、事務局長の金井義明に直接書類を手渡し、FA手続きを済ませた。 「どこが相手でも一回目は、こちらは話を聞くだけ。一通り聞いてから、いい話があったところと交渉をすることになる」 緊張の面持ちで、お茶の間に向け「FA宣言」を行った前日とは違い、この日はいつも通りの建前論に終始した。 これでFA申請者は4人となったが、その一方で冷たい”秋風”にさらされた功労者たちもいる。この日、横浜は高木豊、屋鋪要ら6選手に解雇通告を行った。 事前の打診もなかったことに「16年間、このチームが好きでやってきたのに、ゴミ箱に捨てられた気分だ」と屋鋪が目を潤ませれば、この年を含め3年連続全試合出場を続ける高木も「横浜で現役を続けるつもりだった。FAといわれても、今の段階で急には何とも…」と戸惑いを隠せなかった。 球団サイドは「若返りを主眼としたベストの選択」と主張したものの、横浜は先にFA宣言した駒田徳広に強い関心を示しており「その獲得資金づくりでは?…」との見方はぬぐえなかった。 =敬称略(館林誠)
中日スポーツ