「男性は私1人だけだった」 着物学校に入った黒人男性が苦労した結果得た「かけがえのないもの」
とはいえ、「母の言動がなければ、私の着物と日本への執着はそこで止まっていたかもしれません」とハリスさんは言う。 「ずっと憧れていた着物と日本文化を身近に感じるために、ようやく欲しかったものを手に入れることができたのに、母はそれを返却させました。私はとても動揺し、そしていつか自分のものとして手に入れようと自分に言い聞かせたのです」 そして2003年、ハリスさんは日本に移り住み、小学校の教師として働きながら、主に婚礼用の着物を集めるようになった。しかし、彼女のコレクションが30着近くになると、重くてかさばる着物は住居スペースを占領するようになった。
■着物を売るようになって気づいたこと そこでハリスさんは、主にアメリカの人々に着物を売り始めた。時折、彼女は着物を試着したが、いくつか問題があった。1つは、着物を所有することに熱中していたものの、正しい着方を知らなかったことだ。 「日本には着物の着付けやスタイリングを教える学校がいくつもあることを知りませんでした。そこで、多くの英語圏の人がすることをしました。『The Book of Kimono』という本を買いました。素晴らしい本でしたが、ちょっと圧倒されました。自分には無理だと思ったのです」
もう1つの問題は、ハリスさんの身長と体格が一般的日本女性のなサイズとはかけ離れていたため、着ることができないかもしれない、とおそれていたことだ。 「私はアメリカのクイーンサイズの女性です」とハリスさんは話す。「私の身長は178cm。それに、着物を着ているのを見たことがある人たちは、私ほどメラニンを持っていませんでした。つまり、黒人ではなかったのです。私のような人は、着物が似合う人の典型的な美の基準とは違いました」
しかし、彼女は着物についてもっと学びたい一心で、英語で着物を教えてくれる学校を探した。日本語は多少話せるものの、着付けのような複雑なことを学ぶのに必要と思われるレベルではなかったからだ。しかし、資格認定を行う学校はどこも日本語だけだった。 「資格が欲しかったのですが、英語では無理でした」と彼女は言う。「英語で着物のレッスンを受けても、資格は取得できないのです」 そこで、ハリスさんは「ブラック・ウーマン・イン・ジャパン」という団体の仲間を通じて着物学校についてアドバイスを受け、最終的に1つの着物学校へと入学することにした。