お家芸がお荷物に「液晶のシャープ」が衰退した真因、国内でのテレビ向け液晶パネル生産ついに撤退
■蓄積を重んじる企業文化ゆえの結果? 予見力の重要性を強調していた町田氏が、なぜ、新規事業育成という点で、それを十分発揮できなかったのか。皮肉な論理に聞こえるかもしれないが、蓄積を重んじ、先輩(創業者や前社長)を尊重する企業文化ゆえ、液晶に集中し過ぎ、その結果、「液晶一本足打法」と揶揄されるようになったのだろう。 次の言葉を忘れていたのではないか。 「いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって、広く世界の文化と福祉の向上に貢献する」
2代目社長の佐伯旭(あきら)氏が、創業者の早川徳次氏の精神をくんで、1973年に定めた経営理念の一節である。この文言に反し、近年、シャープはいたずらに規模を追ってしまった。だが、それよりも問題だったのは、液晶という既存の主力事業ばかりに目が行き、「誠意と独自の技術をもって」新規事業をタイムリーに創出できず、端境期をつくってしまったことである。 もう1つの反省点は、経営者の「自信過剰バイアス」である。これは、自身の能力や知識を過大評価し、自信を持ち過ぎる傾向を指す。具体的に言えば、「液晶のシャープ」で成功し、今後も好調に推移すると予見する「予測的自信過剰」が生じる。その結果、身の丈以上の投資をしてしまう。大工場をつくり、シャープの優れた液晶技術をもってすれば敵なし、と保有する能力を過大評価する「行動的自信過剰」につながった。
「自信過剰バイアス」は、企業が競争優位を維持するためには、自社だけが持つ独自の能力や技術を活かすことが重要だとするコアコンピタンスと表裏一体である。シャープは液晶をコアコンピタンスにした。 ■創業者が晩年、色紙に書いていた「言葉」 もともと、電卓で使われた太陽電池とともにシャープの成長を支える事業だったが、液晶の存在感が高まりすぎ、コアコンピタンスにはなったものの、分かり易く言えば「専門バカ」に陥ってしまったのだ。そして、経営者の意識も健全な多角化へと向かわず、ビッグビジネスの液晶へ偏重してしまった。「いたずらに規模のみを追わず」の精神を忘れてしまったかのようだ。