錦鯉、バイきんぐ、ザコシ……「芸人の墓場」と呼ばれた事務所で、売れっ子を量産する仕掛け人
「当時、他の事務所は売れている一部の人間しかテレビに出られませんでした。SMAではライブの成績で明確に序列を作り、一番上のクラスでトップにいればテレビに出られるかもしれないというわかりやすいシステム。みんなやる気になりましたね」(錦鯉・長谷川) 平井は芸人たちの目の色が変わるのがわかった。 「目標がないと芸人も事務所も不幸になります。目標を与えたら努力を求める。それが僕の仕事だと思ったんです」 <ここで頑張ったらいいことがある>
「エンタの神様」(日本テレビ系)でコウメ太夫が人気を博したことは事務所にとって明るいニュースだった。 「意外と不器用なところがあって、売れるのは厳しいかなって、最初は思っていたんです」 平井の助言で、そりの合わない構成作家を変えたのが功を奏す。「裏声で演じた方がいい」「締めに怒った方がいい」というアドバイスも素直に聞き入れるようになった。その翌月にはテレビからコウメ太夫に声がかかるようになった。 この頃から、お笑い番組のスタッフがSMAのライブにカメラを入れて、ネタをチェックし始める。 「どんどん芸人を受け入れているから、テレビ向きの新しい人材が現れる可能性があったんです」 生き馬の目を抜く芸能界で、平井はSMAという事務所が徐々に認知されていることを感じた。ここで一番を取れと、平井はくすぶる芸人たちに言い続けた。
「東京では人気者はなかなか芸人にはなろうとしない。クラスでCランクの人気者が芸人になって一発逆転を夢見るけど、努力は簡単には報われない。でも、せっかくこの世界に入ったんだから、ここで頑張ったらいいことあるよってずっと言い続けました」 やがて、AMEMIYA、キャプテン渡辺など人気芸人が生まれる。さらに2012年、バイきんぐが「キングオブコント」で優勝したのが事務所にとってさらなる転機となった。
アホなことを一生懸命やっていたバイきんぐ
バイきんぐ・小峠英二と親交があった松本りんすは、「キングオブコント」決勝当日の様子を鮮明に覚えている。バイきんぐのコントが始まると、笑い声がまるで地鳴りのように響く。審査員の芸人たちが体を揺らして笑うさまに、鳥肌が立ったという。番組終了後、舞台袖に戻ってきたバイきんぐの二人と笑って握手をしながら、目に涙を浮かべる平井の姿があった。 「彼らは最初のライブで、〈わき鳴らし部〉というネタをやったんですけど、とにかくくだらなくてね。でも、アホなことを一生懸命やっていた。だからとにかくネタを書かせたし、彼らもそれに応えてくれた」(平井) キングオブコント覇者はテレビに定着できないジレンマがあった。漫才は縮められるが、コントは尺を短くすると面白さがなくなってしまうからだ。 優勝翌日、ある番組で90秒のネタをやってほしいと頼まれた小峠も、最初は渋った。 「僕は怒りました。頼まれたらやるのが仕事だろうって。あそこで彼らが頭をひねって短いコントに仕上げてくれたのが、今となってはターニングポイントだったと思うんです」