錦鯉、バイきんぐ、ザコシ……「芸人の墓場」と呼ばれた事務所で、売れっ子を量産する仕掛け人
ネタ見せもないまま、全員を採用
「事務所に所属している芸人と比べたら、自分たちは野良犬みたいなもんでした」 そう語るのは2019年『R-1ぐらんぷり』ファイナリストの松本りんす。 2005年、SMAのお笑い部門誕生を聞きつけた、16年前の松本もまたフリーだった。当時、お笑い部門は大手事務所しかなく、多くの芸人たちはその壁にはじかれてきた。養成学校に行くお金もなかった。
彼らの最初の目標は事務所に所属すること。松本もSMAの募集に名古屋から乗り込んだものの、芸能事務所の壁の高さを何度も味わっていただけに、どうせ今回も落とされると思っていた。オーディションに来ているのも知らない芸人ばかり。だが、ネタ見せもないまま、全員が採用される。 「びっくりしましたね。そこから一気に『誰でも入れる事務所がある』って噂が広がったんです。その後も、『SMAは芸人の墓場』と言われていました」(松本) 平井には明確な狙いがあった。
「少数精鋭で事務所のカラーを出したくなかったんです。後発の自分たちに足かせをつけたら動けなくなるでしょう」 当時掲げたコンセプトをこう振り返る。 「専門店ではなく百貨店になろう。商品の質はともかく、あそこに行けばなんでもそろうよって」 希望をもって自分たちの門をたたいてくれた芸人をはじきたくもなかった。だから誰でも入れるようにして、事務所内で切磋琢磨させることにした。「芸人の墓場」と揶揄されても気にしなかった。 「アメリカの大学と一緒です。入るのは簡単だけど、出るのが難しい」
錦鯉・長谷川「みんなやる気になった」
SMAには募集からひと月で30組の芸人が集まっていた。平井が最初に狙ったのは『爆笑オンエアバトル』(NHK)だ。観客が評価するそれまでなかったタイプの番組で、幅広い芸風を受け入れる懐の深さも特徴だった。平井は、所属芸人のネタを録画・編集して局の担当者に売り込んだ。 「芸人のキャスティング担当者が音楽畑の頃から面識がありまして。新しい事務所に興味を持ってくれたんです」 オンバトという目標を設定して平井は芸人たちの競争を促した。錦鯉・長谷川はこのシステムに感銘を受けた。