日本初、性別適合手術からのプロレス復帰。エチカ・ミヤビが「女として生きていく」と腹を決めるまで
広がる〝ギャップ〟に悩んだ思春期
「中学に入る頃から体格がよくなり始めて、スポーツが得意になってきたんです。部活は、小学生のときにやったソフトボールが楽しかったから、野球部に入りました」 小学生の頃は運動神経抜群というタイプではなかったが、体が成長してくると明らかにスポーツが得意と自覚できるようになった。そして、今も自分の強みと話すのが「動きのフィードバック」である。 「『こう動いたら、体やフォームはこうなるだろう』という感覚と、実際の動きが概ね当てはまるんです」 つまり、頭でイメージした動きを、齟齬なく身体で再現できる能力。極端にいえば、理想のフォームを見て、すぐに真似できる能力ともいえる。 こうした感覚が優れている選手は進歩が著しく、フォームを崩したり、身体の変化でフォームにズレが出たりしても、自己修正能力が高くて絶不調には陥りにくいものだ。現に、野球では打撃も守備もどんどん上達していった。 「肩が強かったので、センターを守っていました。ノーバウンドの返球でランナーを刺したりできると、うれしかったですね」 ただ、「男として生きていくしかないんだ」と決めた心は結局、揺らいでいた。 「野球選手として成長しようとフィジカルを鍛え、技術やセンスを磨こうとすればするほど、男っぽくなっていくわけです。体はゴツゴツしてくるし、女性らしい丸みなんかないし。好きなことを追い求めると、本当になりたい自分、心の内の自分とのギャップが大きくなる。それが悲しかった」 細くなりたい─。年頃の女子なら当たり前に抱く感情をMtFのエチカが抱くのは当然だった。大人に近づくにつれ、少しずつニューハーフと呼ばれる存在も知るようになる。「男性なのに女性のような装い」を見て、「自分もあんなふうに……」と思っては、踏みとどまる。その繰り返しだった。 「かわいくなりたいと思っていたけど、自分には無理かなって。当時、ニューハーフの人もテレビに出るようになっていましたが、かわいい系のニューハーフよりもドラァグクィーンの人が多くて。自分があんなふうになるのは無理かな、と感じたんです。ドラァグクィーンの人が嫌いというのではなく、自分の好みや性格の問題ですかね」 当時は首都圏の郊外住まい。田舎といっても過言ではない環境で暮らしていた。東京のカルチャーはエチカにとってはるか遠いもので、LGBTQの知識もまだ十分ではなかった。かわいくなるのも無理、ドラァグクィーンになるのも無理。それならば、〝女性への憧れ〟を忘れるしかない。揺れた心はまた元に戻り、それを打ち払わねばと、より頑なになる。 「もっと男っぽくなって、女の子を好きになってみようと思って、女性と付き合ってみたこともありました。だけど、すごく嫌な言い方ですが、その行為は自分にとって一種のはけ口みたいな感覚もあって。 なのに、いざとなると結局、セックスはできない。女性が相手だと、『したい』という気持ちが湧かないんです。これじゃあ、付き合ったところで先の広がりはないですよね。相手が自分を好きと言ってくれても、こっちにその気がないのなら、互いにとても無駄な時間を過ごしているんじゃないか……と思ったり」 多感な思春期、自らの性に悩むLGBTQは少なくない。なかでもエチカは悩み多きタイプだった。
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