犯罪を繰り返した58歳の知的障害者が「ぼく、やっぱり戻りたい」と語る支援施設 近隣は反対、行政は圧力…それでも受け入れ続けた
Yさんが取り調べに語ったところによれば、犯行の動機は「大きな事件を起こせば、ゆうとおんに戻らなくて済む」だった。比較的障害が軽いYさんは利用者の中でもリーダー的存在だったが、当時は1人の女性利用者との関係に悩み、こじれた関係をうまく処理できずにいた。2008年12月の大阪地裁判決は、犯行当時は心神耗弱の状態だったと認め、懲役5年6月(求刑は懲役12年)を言い渡した。 ▽「アホ」といじめられ Yさんがゆうとおんに来たのは1999年。それまで入所していた府立の施設から無断外出し、子どもの連れ去り事件を起こしたことをきっかけに「もう面倒を見切れない」と措置を解除して放り出したことに始まる。途方に暮れた家族が、地域にある障害者施設一覧の中から連絡し、引き受けたのがゆうとおんだった。 Yさんは優しい性格で、気心が知れてくると冗談を言ってくる気さくな人だ。ただきちょうめんで融通が利かないところがあり、ルールや決まりごとにも厳しく、守れない人を見ると我慢ができなくなる。利用者の中ではできることが多いため、支援者のようなふるまいをしようする傾向もある。
幼い時に父母が離婚。双方を行ったり来たりする落ち着かない生活が続き、小・中学校では普通学校で学んだが、同級生らに「アホ」といじめられた。その後、最初に就職した菓子製造会社では、同僚に金をたかられるなど激しいいじめを受けた。そして転職を繰り返すうちに人生が暗転していく。同年代や成人相手では対等な関係を築けないためか、小さい子どもに関心が向き、保護者が目を離したすきに連れ出してしまう行動が増えた。 しばらく一緒に遊んでいても、子どもが泣き出すなどしてどう扱っていいか分からなくなって暴力し、逮捕されたこともあった。幼児の連れ去り行為は、ゆうとおんに来てからもあった。だが、そんな彼を畑さんや土橋さんは決して見切ろうとしない。あったのは「分けない、切らない、共に」の信念。Yさんも2人に深い信頼を寄せていた。 ▽2年間の生活訓練 刑期を終えて社会に出てくると、「再犯しないこと」は、生き直す上で何にもまして大切な約束事とみなされる。そして失った信用を回復する第一歩は反省であるとされる。しかしYさんは知的障害のため、罪を犯した動機を自分の言葉ではうまく語れないし、消化できていない。事件後はいつも、号泣したり弱々しくふるまったりして謝罪と反省の言葉を繰り返すものの、表面的な感じは否めなかった。