アドラー心理学の岸見一郎が説く「嫌われる勇気を持って、信頼される人間になる」
周りに自分を嫌っている人はいるか
なぜ、はっきりと「やめて」といえないのかには、わけがあります。はっきりと主張すれば、摩擦が避けられないことを知っているからです。だから、いやなことをいう人であってもその人と対立したくないのです。このような場合、黙っているのは優しいからではありません。率直にいえば、臆病だからです。 昔、私の息子から「君は人から嫌われるのがそんなに怖いのか」といわれたことがありました。どんな話をしていたときにいわれたのか、いまとなっては覚えていないのですが、彼は私と違っていうべきことをいえるのに、私はいいたいことやいうべきことを、摩擦や嫌われることを恐れていえていないことに思い当たりました。 人からわざわざ嫌われる必要はありません。ですが、自分の周りの人を見たときに、自分を嫌う人が誰もいなければ、いいたいことをいわないために、対立を回避しているだけかもしれません。反対に、自分を嫌う人がいれば、それは自分が自由に生きていることの証であり、自由に生きるために払わなければならない代償であるともいえます。 それでは、どうすればはっきりといやなことは「いや」といえるようになるでしょうか。 まず、言葉ではっきりと伝えることが必要です。「そんなことはやめてほしい」と直接的にいえないのであれば、「いまのいい方はいやだった」とか、「そんなふうにいわれて悲しい」と自分の気持ちを伝えることもできます。相手の言動に何も感じないはずはありません。いやだと思ったのに自分の気持ちをいわなければ、相手に伝わりません。 自分の気持ちをいう場合も摩擦を避けられないでしょうが、本当の友人であれば、してほしくないことをやめてといったからといって、友情が損なわれることはありません。はっきりと伝えたところで離れていくような人と、無理に付き合い続ける必要はないのです。 そして「やめてほしい」と言ったり、自分の気持ちを伝えたりするときには、感情的になってはいけません。冷静かつ毅然とした態度を保つことが重要です。普段から怒らない人であれば、このような態度を取ることはできるはずです。 冷静で毅然とした態度を保つためには、自分のなかで「これだけは許せない」「譲れない」という基準を明確にしておかなければなりません。 他人は自分の期待を満たすために生きているわけではありません。そのため、自分だったらしないだろうと思うようなことをほかの人がしていても大目に見なければなりません。しかし、自分が傷つくようなことをされたり、いわれたりしたとき、またその行為が自分のみならず多くの人に実害を与えるような場合は、黙っていてはいけないのです。 嫌われることを恐れて、いいたいことやいうべきことをいえない人は、表面上は人と対立を避け、いい関係を築けているように見えます。しかし、そのままではやがて信頼を失うことになります。誰に対してもいい顔をしようとするからです。 たとえ相手によく思われなかったとしても、怒らない自分の冷静さを活かし、毅然と自分の思いを伝えることができれば、ほかの人から信頼される人になれるでしょう。 ※お送りいただいた相談内容は、編集部で厳選して編集するため、そのまま掲載されることはありません。
Ichiro Kishimi