フジコ・ヘミング、音楽の原点は“色”「センチメンタルなものもいいじゃない」
60代で一夜にして名が知られることになったフジコ・ヘミングは、遅咲きのシンデレラとも呼ばれる。1999年2月11日に放送されたNHKのドキュメント番組で特集され、それが大きな反響を巻き起こしたのだ。フジコの持つ波乱万丈のストーリーや、比類のないノスタルジックな演奏が多くの人の心を捉え、その後、デビューCD「奇蹟のカンパネラ」をリリース。累計200万枚と、日本のクラシック界では異例のヒットを記録した。いまや世界中から招かれ、演奏活動をしているが、今月16日には自身の今の活動や半生を振り返ったドキュメンタリー映画「フジコ・ヘミングの時間」(小松莊一良監督)も公開される。
一番最初の記憶は音楽ではなく「色」
フジコと音楽の出会いは、幼少期にさかのぼる。東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト、大月投網子とロシア系スウェーデン人の画家で建築家、ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングを両親としてベルリンに生まれたフジコは、5歳のとき帰国し、母の手ほどきでピアノを始めた。父は日本に馴染めず、家族を残してスウェーデンに帰国してしまう。10歳からは、父の友人だったロシア生まれのドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏にも師事した。 「でもね、一番最初、赤ん坊のときに頭に残っているのは音楽じゃなくて『色』なんです。チョコレートの紙か何かで、金色の緑がかった色がきれいで。その色が一番最初の私の想い出になりました。その次は、桜なんです。桜の花を見に行って、すばらしい桃色でした。それから、ピアノを始めたときに子ども用の大きな楽譜を使ったんですが、その中にサンタクロースみたいな真っ赤な絵が描いてあって、それを観るたびに胸がドキドキして。音楽のほうはぜんぜん覚えてなくて、その絵のほうにドキドキしていました」
フジコの演奏の特徴は、まるで色をつけるように弾くこと。そこには、幼少期にふれた色の想い出が関わっているようだ。 「音の色、ですよね。だから、すばらしい絵を見て好きだと思わない人は音楽やってもダメだと思う。両方つながってるでしょ。絵や美術を観るのが好きな人は、音楽も本当にわかるんだと思います」