津波で家族4人を失った父 新たに授かった娘に「おばあちゃんになるまで生きて欲しい」#あれから私は
東日本大震災で原発事故のイメージが強い福島県だが、津波による死者・行方不明者は1800人余りにのぼる。放射能の影響で警察や自衛隊の捜索が遅れ、いまだに行方不明になっている命の存在がある。津波と原発事故で被災した上野敬幸(48)は、両親と2人の子どもを亡くし、同じ年に一つの命を授かった。生きることを問い続けて10年。ようやくたどり着いた「願い」とは――。(取材・文:笠井千晶/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
行方不明者は30人、真冬の潜水捜索
体の芯まで凍えるような風が吹きすさぶ、真冬の海岸。2年前の冬、福島県南相馬市で、じっと海を見つめる上野敬幸の姿があった。 ここ南相馬市の萱浜(かいばま)地区は、東日本大震災で大津波に襲われた。海岸から1キロの一帯が根こそぎ波にさらわれ、109世帯約300人のうち、死者・行方不明者が合わせて77人という犠牲を出した。上野も自宅が被災し、母・順子(当時60)と長女・永吏可(えりか、同8)が死亡、父・喜久蔵(同63)と長男・倖太郎(同3)が行方不明になった。
この日、上野のほかにも地元の人たち十数人が、寒さに耐えながらコンクリートの堤防の頂に立っていた。中には双眼鏡を手にしている人もいた。みな家族が行方不明になっている人たちだ。視線の先には海上保安庁の船艇が2隻、波間に揺られている。船べりにひざまずいた8人のダイバーが海に向かって花束を投下、黙祷を捧げた。 「ただ今から、潜水捜索を開始します!」 地元・萱浜沖では、震災から8年経って初めて行われた潜水捜索だった。 「俺らの萱浜地区では、北萱浜と南萱浜を合わせて30人。それだけの方が行方不明っていう。すごい数、すごい数だよ」。上野がつぶやいた。
潜水捜索は、今年1月末にも行われた。しかし、前回同様の悪天候に阻まれ、行方不明者の手がかりは得られなかった。 「やっぱり時期が悪いから、しょうがない。本当は6月辺りの、べた凪の時にやれたらいいのにね。福島県の行政はね、瓦礫がここの海にはたくさんあるって分かってるのに、何にも手をつけなかった。分かってて、ずーっと後回しにしていた。放射能とか、原発ばっかりに目が向いてるから……」 上野の表情が曇る。福島県では常に原発事故への対応が優先だ。津波の犠牲者にも目を向けてほしいと、上野は繰り返し訴えてきた。