「自己責任」「国賊」「頼むから死んでくれ」…イラク人質事件で壮絶なバッシングを受けた18歳の20年後の姿
18歳のときに渡航したイラクで武装グループに拉致され、帰国後はバッシングをうけて体調を崩して引きこもりがちに。今井紀明さん(39)は20代前後を「地獄だった」と振り返る。現在、認定NPO法人「D×P」(大阪市)の理事長として若者を支援する今井さんを、ライターの山本奈朱香さんが取材した――。 【写真】今井紀明さんの自宅に大量に届いた、今井さんや家族を激しく批判する手紙やはがき ■イラクで拉致され、帰国後は「自己責任」バッシング 街を歩くと「今井さんですか?」と声をかけられる。芸能人でもないのに、みんなに顔を知られている。「死ねよ、ガキ」と罵倒する人も「素晴らしい活動をしていますね」と讃える人も。この状況が一生続くのか――。 今井さんは20代前後の数年間を「絶望的だった」と振り返る。きっかけは、18歳のときにイラクで拉致されたことだ。 今井さんは中学生の終わりごろに環境問題に関心を持ちはじめ、高校入学後の2001年にアメリカで起きた9.11(同時多発テロ事件)やアメリカのアフガニスタン侵攻を機に世界に目を向けるようになった。自分と同じ年ごろの子どもたちが学校に行かず働いていることを知り、「子どもたちが置かれた不条理な状況を変えたい」と思う。ボランティアをしたり、調べて文章にしたりと、自分にできる行動をとった。 2003年にはアメリカが主体となってイラクに侵攻してイラク戦争が始まった。自衛隊のイラク派遣が決まると、日本ではあまり報道されない劣化ウラン弾の問題について広く伝えたいと考えた。所属していた市民団体内で話し合い、高校を卒業したばかりの今井さんがイラクへ行くことになった。2004年4月のことだ。 しかしイラクで移動中、覆面姿で狙撃ライフルやカラシニコフを持った男たちに拘束されてしまう。ストリート・チルドレンへの緊急支援活動をしていた高遠菜穂子さんとフォトグラファーの郡山総一郎さんも一緒だった。拘束から9日目に3人とも解放されたものの、帰国後は壮絶なバッシングに苦しむことになった。