「涙が滝のように流れてきて」安食雄二 100回試作して臨んだパティシエ最高峰の世界大会でつかんだ優勝秘話
── コンクールの経験が採用につながったんですね。大型新人の入店で、さぞ注目されたのでは? 安食さん:ぼく自身は知らなかったけれど、「今度すごい子が来るぞ。あっという間に追い抜かれるから気をつけろ」と言われていたようです。やはり風当たりは強かった(笑)。そこも寮生活で、先輩たちと一緒にいるのが息苦しくて、休みのたびに辻口さんのアパートに転がり込んでいましたね。「鴫立亭」に入って3か月後にコンクールがあって、チーフに出場を勧められ、挑戦したら優勝しちゃった。それが23歳のとき。ジャパン・ケーキショーという大きなコンクールです。
ただ、ぼくにとって一番の転機になったのは、グランプリインターナショナル・マンダリンナポレオンコンクール。日本人の得意な見た目や技術ではなく、味覚で審査するコンクールで、現地に材料を持ち込み、限られた時間や条件で勝負します。日本人にはムリだと言われていたコンクールで、あのタイトルをとったことで、その後の人生が大きく変わりました。
■100回の試作を経てたどりついた世界大会の優勝 ── 1996年にベルギーで開催されたグランプリインターナショナル・マンダリンナポレオンコンクール(世界大会)に出場し、日本人初優勝。どんな思いで挑んだのでしょう。
安食さん:挑戦したのは、辻口さんの影響がありました。辻口さんは当時すでに世界大会にもいろいろ挑戦して実際に賞をとっていたので、「自分も」という気持ちがあって。そのためには、町のケーキ屋さんにいては難しい。何しろ朝から厨房で働いて、試作をする時間も充分にありません。定時が決まっているホテルのような労働環境と設備が必要でした。 当時、辻口さんはセンチュリーハイアットで働いていて、自分も入れないかと相談したら、空きがないと言われてしまった。その代わりと紹介状を書いてくれたのが、横浜ロイヤルパークホテルでした。ランドマークタワーの開業時です。町のケーキ店から中途採用でホテルの新規オープンに入るのはとてもまれなケースですが、いくつものコンクールで優勝してきた経歴が採用につながりました。