「涙が滝のように流れてきて」安食雄二 100回試作して臨んだパティシエ最高峰の世界大会でつかんだ優勝秘話
マンダリンナポレオンコンクールに出ると決めた時点で、「優勝できたらいいな」ではなく、もう「優勝しか」頭にありませんでした。優勝するためには何をしたらいいか、という逆算の考え方です。まず、前年、日本人で初めて2位になった横山知之さんのもとに行き、審査の様子などいろいろ情報収集させてもらいました。そこから素材選びをはじめて、味を構成していくのですが、何度も作るうちだんだんわからなくなってきてしまって。最終的に、ホテルの守衛さんや設備の方にも試食をしてもらい、意見を聞いていましたね。コンクールの準備には2年間を費やし、100回は試作をしたと思います。
優勝が決まった瞬間、涙が滝のようにドバッと溢れてきました。険しい道のりだからこそ、そこに立ったときの景色はすごいものがある。北島康介さんの「超気持ちいい!」って、オリンピックで話題になったじゃないですか。まさにあれです。本当に気持ちよかったですね(笑)。 ── 日本人初優勝のタイトルをもって、辻口シェフが自由が丘にオープンした「モンサンクレール」のスーシェフ(副料理長)に就いています。兄弟弟子のタッグですね。
安食さん:辻口さんから「一緒にやってくれないか」と声をかけられて、「ぜひ」と即答しました。フランスで一緒に修行した場所にモンサンクレールという丘があって、店名はそこから取ったようです。 オープン2年で業績がどんどん伸びていき、厨房の組織もできてきた。ある程度、店が成功を収めたころ、ぼく自身も5社からシェフとしてオファーがあったんです。たまプラーザの「デフェール」もそのひとつ。それで店を離れようと決めました。
■疎遠になってしまった辻口シェフと10年振りに再会すると… ── 店を離れる決断をしたとき、苦楽をともにしてきた辻口シェフは悲しんだのでは? 安食さん:辻口さんとしては、“もう離れていくのか”という感じだったみたい。その後、10年近く音信不通になりました。「デフェール」時代はパティシエブームの波がきて、毎月のように雑誌の取材がありました。世界コンクール優勝の肩書きが注目される大きなポイントだったと思います。よく知り合いから「本屋に行くといつも安食が載ってる」と言われましたね(笑)。