【能登半島地震から1年】能登・七尾市のシェフ平田明珠さん「これからもこの地とともに生きていきたい」復興を振り返り
「令和6年能登半島地震」発生から1年間、炊き出しや支援催事、レストランの再開と走り続けてきた「ヴィラ・デラ・パーチェ」平田明珠氏にお話を伺いました。
4月に営業を再開、待ち受けていたのは…
震災で壊滅的な被害を受けた能登だが、なかでも比較的復興が早く進んだのが七尾エリアだ。能登半島のちょうど真ん中に位置し、奥能登への物資の中継地点としても重要な場所で、七尾を拠点に珠洲などへ避難物資などが運ばれていた。 震災時、「ヴィラ・デラ・パーチェ」は比較的被害が少なかった。しかし地域のライフラインが寸断されたため、震災直後から1200人を超える人々が近くの中島小学校に避難していた。元日からオーナーシェフの平田明珠(ひらためいじゅ)さんは、自分の集落の人々や近所の飲食店の人々、「北陸チャリティレストラン」のメンバーと連絡を取り合い、炊き出しを始める。SNSなどで発信をしながら、必要な支援を呼びかけ、炊き出しの中心メンバーとして衛生面や人の確保など裏方の作業を進んで行い、地域の食を支えてきた。 2024年1月末には地域のスーパーなどが再開し、2月には断水が解消されるという情報もあったことから、少しずつ自店の再開に向けて動き出した。 店の営業ができなければ、生活のための収入は得られない。「地域の復興には、自立できる人はどんどん自立すべき」と考えた平田さんは炊き出しは外部の支援などを頼りながら、自らの店としての収入を得るために、出張イベントなどに精力的に参加。イベント先で能登の現状を伝えると同時に、料理をしながら自店再開の準備をしていった。 断水は2024年3月末に解消され、4月には店を再開。しかし、思ったようには人が来てくれない。「率直に言うと周りに店があって、和倉温泉など旅館があって、みんなで呼び込めていたということをいま感じています。 営業再開しているお店や宿が少ない中で、うち単体でお客さんを呼び込めるかというと正直厳しかったですね」。店を再開してからの7カ月を振り返り、平田さんはこう話す。