これから特攻で「死にに征く者」が「残る者」に放った「なんとも意外なことば」
死にに征く者からの「ご苦労様でした」
11月10日の午後、突然、レイテ湾東方に敵機動部隊発見の報告が入る。待機を解かれていた搭乗員たちに急遽、出撃命令がくだり、角田たち梅花隊は、中央分離帯のグリーンベルトを外して臨時の滑走路として使われていたマニラ湾岸道路から発進した。しかし、この日は敵艦隊を発見できず、日没とともに反転した。 翌11月11日朝にも梅花隊、聖武隊は、司令部はじめ大勢の報道班員に見送られ、マニラ湾岸道路を発進した。 この出撃を、新名丈夫報道班員がライカで撮影している。零戦の操縦席にいる角田にも、撮られていることははっきりとわかった。 「いよいよ離陸というとき、新名さんが片膝をついて、カメラを構えて私のほうを狙っているのがわかりました。それを見て、ああ、ここでニッコリ、と思ったけれど、顔がこわばってしまって私は笑えませんでしたよ。ところが、若い搭乗員でニッコリ笑って出て行くのがいる。すごいと思いましたね」 離陸してみると、角田の飛行機のエンジンの調子が悪い。燃料混合比が薄すぎると判断したが、エアコントロールレバーを動かしてもよくならない。引き返すと攻撃に間に合わないので、角田は、レガスピーで燃料を補給するときに直してもらおうと、そのまま直進を続けた。 正午頃、レガスピー基地に着陸。ただちに整備員に調整を頼む。燃料補給の間、最後となるであろう弁当を開く。梅干の入った海苔巻きの三角むすびが3個。 そのとき、基地の整備分隊士がやってきて、 「気化器の調整法がわからないから見にきてほしい」 という。聞けば、この基地には零戦の整備ができる整備員がいないとのことだった。角田は唖然とした。「空地分離」の名のもとで基地航空隊と飛行機隊が分けられたのはいいが、基地航空隊で飛行機の整備ができないとは、作戦配備がなっていないということではないか。 燃料が薄いのだから、調整目盛りを(+)に動かしてもらい、大急ぎで試飛行に上がる。しかし、調子はよくならない。尾辻中尉以下は、すでにエンジンを始動して待機している。 角田は、ただちに着陸すると、二番機に駆け寄り、 「おい、交代してくれ。お前、残ってくれ」 と声をかけたが、二番機の搭乗員は静かに頭を振り、 「三番機とかわってください」 という。角田は、それもそうだ、二番機は自分の次に実戦経験がある、いざというときには彼がいたほうが戦力になるだろうと考え、三番機に走った。 「おい、俺の飛行機はダメだ。お前、交代して残ってくれ。この飛行機を俺に貸せ」 しかし、三番機もまた平然と、 「四番機とかわってください」 という。ここで角田は、こいつら、ふつうに頼んでも飛行機を降りないな、と悟った。そして、今度はわざとゆっくり四番機に近づいた。二番機、三番機はこれまで面識のない搭乗員で名も覚えていない。だが、四番機の中山孝士二飛曹は、角田が厚木海軍航空隊で教えた練習生である。彼ならば嫌とはいうまい。 「おい、お前は残れ。俺が飛んでいくから」 だが中山は、 「私が行きます。分隊士は残ってください」 という。角田は声を荒らげて、 「俺が行かなくて誰が誘導するんだ。下りろ!」 と叱りつけ、落下傘バンドに手をかけて引きずりおろそうとした。すると中山は、操縦桿にしがみつき、 「教員!私がやります。私に行かせてください!」 と叫んだ。角田は、ハッとして手を離した。久しぶりに聞く「教員」という言葉。命名式のとき、中山には気づいていたが、他の搭乗員に差別感を与えてはいけないと思い、角田は黙っていた。だが、角田がベテランの特務士官であることを尾辻中尉に教えたのは中山だった。手を緩めてしまった角田は、最後の手段として、尾辻中尉に、 「隊長命令で誰か交代する者を指名してください」 と頼んだが、尾辻中尉は、いつもと変わらず静かな口調で答えた。 「私たちは死処は一緒と誓い合った者同士です。いまここで、誰に残れとは言えません。角田少尉は他部隊からの手伝いですから、残ってください。誘導機がいなくても私がなんとかしますから。そして飛行機が直ったら原隊に帰ってください。長い間ご苦労様でした」 死にに征く者が残る者に「ご苦労様でした」とは!…………角田はもはや、一言も返す言葉がなく、うなだれて隊長機を離れた。 梅花隊、聖武隊は、この日、敵艦隊を発見できずセブ基地に着陸したが、翌12日、ドラッグ海岸の浮桟橋に横付けし物資を揚陸中の敵輸送船攻撃に向かう途中、米陸軍の戦闘機P‐38と遭遇、空戦となり、尾辻機ほか3機は突入を果たせないままに撃墜された。(続く)
神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)