復興共に見守り続けた広島駅、2025年新駅ビル開業…馬場アナ「新たなスタート切る場所になるかも」
2025年が幕を開けた。原爆投下、太平洋戦争終結から80年。広島にとっても重要な1年となる。昭和、平成、令和と巡る中、戦後の節目の年にあった様々な出来事を改めて紹介したい。まずは今年、注目を集めるあの場所の話から――。 【画像】邦之さんが1950年代に撮影した広島駅前の風景
仕事一筋だった父も撮影
広島市南区のJR広島駅前で1901年から営業する理髪店「メンズサロン・アキノブ」の4代目店主、秋信隆さん(76)は、春の訪れを心待ちにしている。視線の先には工事中の同駅の新駅ビル。地上20階、地下1階建てで商業施設「minamoa(ミナモア)」や映画館、ホテルなどが入る大きなビルは3月24日、いよいよ開業する。
「元々は焼け野原だった」。秋信さんの父、邦之さん(2014年に92歳で死去)は駅を見てよく、そう言っていたという。 日清戦争前の1894年6月に開業した同駅は、簡素な木造平屋建てで、宇品港に兵士や物資を運ぶ拠点だった。1922年に日本初の鉄筋コンクリートの2代目駅舎が完成し、近代的な駅として栄えた。 45年8月6日。広島に投下された原爆は、同駅も破壊した。戦後、焼け残った駅舎を補修しながら使用していたが、65年12月に総工費の多くを民間資本で賄う「民衆駅」として3代目駅舎が誕生。平和都市の玄関口として注目を集めた。 75年に新幹線駅が開設。99年には南口駅ビルを改装した商業施設も完成した。現在、1日約14万人が乗降する中四国最大の旅客駅だ。 邦之さんは復員後、闇市があった同駅周辺に建てられたバラックで、理髪店を再開。家族で出かけることはほとんどなく、仕事一筋に90歳を超えるまで働いた。写真が趣味で、駅舎や駅前百貨店の様子などを時折、撮影していた。そんな父の姿を見て、秋信さんも中学生の頃から写真を始めた。70年代に廃止された蒸気機関車、新幹線開通前の駅北口、終戦後は闇市だった「愛友市場」の解体前の様子……。次々に姿を変える同駅周辺は、格好の被写体だった。 邦之さんが残した写真と同じような地点から駅舎を撮ることも。「父も楽しそうにレンズをのぞいていたな」。一緒に駅を利用した記憶はあまりないが、親子のつながりを感じる瞬間だ。 理髪店には、邦之さんが撮影した旧駅舎などの写真9枚を含めたアルバムが約20冊ある。興味を持った客に見せており、被爆後の駅舎やバラック街などの写真を提供してくれる人もいるという。「(駅ビルが)完成すれば、写真を撮ってアルバムの新しいページに加えたい。それを見て、お客さんと語り合うのが楽しみだ」とほほ笑む。 戦後から地域を見守ってきた同駅の新しい顔見せまで、間もなく。春風が吹く頃にまた、歴史の一ページが刻まれる。(岡本与志紀)