復興共に見守り続けた広島駅、2025年新駅ビル開業…馬場アナ「新たなスタート切る場所になるかも」
大切な拠点、次はどんな姿
駅は、旅立つ人の出発地であり、故郷に帰る人を迎える場でもある。常に姿を変えてきた広島駅の「あの日」を語ってもらった。
フリーアナウンサー 馬場のぶえさん49
縁もゆかりもない広島でのアナウンサー人生は、この広島駅で開け、広島テレビでの最後を締めくくったのも駅からのリポート。とても縁ある27年でした。 小学生の時、大好きな国語の朗読で間違えずに読める自信があり、アナウンサーに憧れました。日大芸術学部放送学科へ進んだものの、就職活動は難航。テレビ局を何社も落ち、初めて書類選考を通過したのが広テレでした。 リポート選考で会場になったのがここ。障害者スポーツ大会の横断幕が目に入り、駅の点字ブロックの工夫を取材し、チラシを示して話しました。先輩アナも太鼓判を押してくれたようで、1997年に広テレの仲間入りを果たせました。 1年目に情報番組「柏村武昭のテレビ宣言」のキャスターに抜てきされました。毎日、駅の南口にあった噴水前から中継があり、私にとって唯一、視聴者と直接つながる場だったことを覚えています。10年ほどたち、駅に降り立って「帰ってきたな」とホッとできるようになりました。 広テレが2018年に「エキキタ」へ移転し、19年と21年に、プロ野球開幕を盛り上げる構内アナウンスを経験しました。流れる自分の声を聞き、恥ずかしくドキドキしました。 「夕方の顔」と応援していただきましたが、昨年、目の脈絡膜の炎症疑いと診断されました。日々ニュースを扱う場で迷惑をかけるかもと、自分で責任を持てるフリーになる決意をしました。昨年10月末、退職の辞令を受け取り、もう一度視聴者に会いたくて、サプライズで中継に出ました。別れを告げたのもこの駅です。 フリーになり、声優の勉強を始めました。ここは巣立つ子どもを見送るだけじゃなく、私にとっても新たなスタートを切る場所になるかも。駅がどんどん魅力を増し、ワクワクできる所になったらうれしいです。(聞き手 中安瞳)