オバマ元大統領やイーロン・マスク氏も体験した!? : “作品に身体ごと没入”するアートミュージアム 「チームラボプラネッツ」の美しき世界
【人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング 】は、本物の水を浅く張ったプールのような場所を、素足で歩きながら鑑賞するタイプの作品だ。その水面には描かれたコイが多数泳ぎ回り、人にぶつかると花となり散る。またあるときには、人の周りをコイがぐるぐると泳ぎ、その軌跡が線として描かれる。 そのようにして自身と他者の存在により、ひとつのドローイングが変化してく様子を見ているうちに、自身と作品、さらには自身と他者の境界が曖昧(あいまい)になっていく。
ほかにも、柔らかな床を沈み込みながら歩くことで身体感覚を研ぎ澄ませ、作品に没入していく【やわらかいブラックホール - あなたの身体は空間であり、空間は他者の身体である】。本物のランで埋め尽くされ、花の香りが充満する空間に浸る【Floating Flower Garden: 花と我と同根、庭と我と一体】。光の点の集合で形づくられた彫刻の中に入り込む【The Infinite Crystal Universe】など、「チームラボプラネッツ」は没入感をもたらす11の作品で構成される。
根源にあるのはテレビを見ていたときに感じた違和感
チームラボがそのような作品をつくるのは、“境界のない世界”を追い求めてのことだ。鑑賞者を作品に没入させることで、自身と作品、世界との間にある境界の認識を揺るがそうと試みているのである。 例えば、地球と宇宙の間に明確な境界などない。しかし、“地球”と言語や論理で認識すると、人はその間に境界があり、地球が独立した存在かのように勘違いしてしまう。 そのように頭の中で切り刻まれた世界を、境界のない連続したものとして再認識させること。それこそが制作の大きなテーマで、この主題は、チームラボ代表の猪子寿之さんの内にずっと以前からあったものだという。 テレビを見ていると、画面に映っている世界が、いま自分がいる世界とはまるで別物のように、つまり非連続であるかのように感じられはしないだろうか。猪子さんは高校生のころそう感じ、ほかにも、山や森の風景を撮った写真が、自身が体験した風景とあまりにも違うように思い、そうした経験からこんな疑問を持つようになる。〈なぜレンズで世界を切り取ると、その画面を境界に、“向こう側の世界”が出現し、世界が二つに切り離されたように感じるのだろうか〉。そして、それとは違う空間の切り取り方をできないか、猪子さんは模索したいと考えるようになる(出典:『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』)。