安売りと買収でダイヤ王に 帝国主義学び南ア宰相目指す セシル・ローズ(中)
ダイヤ王を目指す、宿敵バルナトとの一騎打ち
1887年、ローズはかつて関係していた3大鉱山の1つ、キンバリー鉱山の有力鉱区を買収し、さらにはフランス喜望峰ダイヤモンド会社の買収に乗り出す。この買収は、ダイヤ王を目指すもう1人の男、バルナトとの間で熾烈な戦いが演じられた。まさに雌雄を決する闘いである。 宿敵バルナトは、ローズが勝負どころで常とう手段としてきた「ダンピング」によってローズを逆襲、ローズの牙城、デビアスに攻撃を仕掛ける。 「ローズの地位は危険になった。ローズはこれに対抗して資本の側から攻勢をとった。彼はリッペルト、ロスチャイルドの援助を得て、バルナトの本丸キンバリー中央会社の株を手当たり次第に買い占めていった。バルナトもこれに応戦したが、採算を無視したダンピングと利回りを無視した株価の暴騰はバルナトの陣営に持ち株を売るものが現れた。1888年3月、遂にバルナトはローズの軍門にくだった」(同) デビアス会社はキンバリー中央会社の総株数1万7000株のうち1万1000株を保有することとなり、キンバリー鉱山の支配権を握った。やがてデビアス・コンソリデーティッド社が成立、ローズとバルナトは終身役員に就任する。このころ、デビアス社は生産量の90%を支配するに至る。
鉱山師と大学生のとの二足のわらじ ローズの人生に影響を与えた師の言葉
ローズはダイヤモンド業者として不動の地位を確立する一方、母国の名門オックスフォード大学に入学する。日ごろから「経歴を作らなければならない」と口癖のように言っていた。鉱山師と学生という2足のわらじをはき、キンバリーとロンドンの間を頻繁に往来し、8年かかって学士号を取った。経歴作りのため8年も通ったオックスフォード大で、当時の若者に圧倒的人気のジョン・ラスキン教授(※)の教えは、その後のローズの生き方に大きな影響を与えた。 ラスキンの次の言葉はローズを植民地主義の先兵として、大英帝国の栄光に向けて駆り立てた。 「開拓者たちよ、もし人あって、報酬を求めることなく、ただイギリスのためにのみその身を銃火にさらすことあれば、この人こそ、イギリスの子孫をして祖国を熱愛させ、かつ熱帯の空の輝き以上に輝かしい祖国の栄光の中に微笑ましめる人であろう」(鈴木正四著『セシル・ローズと南アフリカ』) ローズはオックスフォードに通いながらケープ植民地の議員のポストを狙っていた。その手段としてケープタウンの有力紙を買収してあった。豊富な運動資金を使って世論誘導に努めた。ローズはかつて「私は人生において“取引”することのできなかった人をみたことがない」と平然と語っていた。平たくいえば「お金を断られたことがない」と言いたかったようだ。 ローズは議員になってからも惜しみなく金員をばらまいた。議員の中でも有力な地位につき、目指すケープ植民地の宰相への道を着々と切り開いていく。ローズの信念である「商業的利用と政治的野望」の統合に向かって歩み続ける。=敬称略 ※ジョン・ラスキン イギリスの評論家。画家ターナーやラファエル前派を支持し、ゴシックの美を論じた美術評論で名声を確立。社会改良の提唱と実践活動(1819-1900)を行った。 【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)>