生後1カ月でダウン症と告げられた娘。「美貴は金の卵、きっとすごい子になる」という実母の言葉に励まされ【体験談】
鉛筆を握って紙に向かうときは目が違う。どの遊びより集中して取り組む
――美貴さんが初めて鉛筆を持ったのは生後4カ月ごろだったとか。 敦子 指の筋肉の発達を促すために、療育の指導で、生後4カ月ごろから鉛筆を握って遊ばせるようになりました。もちろん、そのころは「絵を描く」という意識はなかったと思いますが、すごく楽しそうになぐり書きをしていました。 また、おすわりができるようになった生後6カ月ごろからは、病院の待合室などで抱っこをしながら、私がメモ帳にお花や車などを描くのを見せると、その様子をじ~っと見つめていました。今振り返ると、あのころから美貴は、鉛筆の先から何かが生まれ出てくる楽しさを感じ取っていたのかな、と思います。 生後7カ月からは新大阪にある療育の教室にも通っていたのですが、そこで美貴は三角鉛筆に出会います。普通の鉛筆より握りやすいので、さらに鉛筆を好きになったようです。 ――美貴さんが初めて絵を描いたのはいつごろのことですか。 敦子 美貴が鉛筆を「お絵描きのための道具」と認識するようになったのは、1歳4カ月ごろだと思います。療育ではリトミックやクッキングなどさまざまな遊びを通して発達を促していただきましたが、鉛筆を握って紙に向かうときの美貴は目が違いました。とっても楽しそうだし、ほかの遊びでは見られないほど集中していました。 ダウン症の子どもは多動傾向がみられることもあるのですが、美貴は紙と鉛筆さえあれば、歩き回ることはありませんでした。私の母も「美貴は鉛筆さえあれば、どこでもおとなしくしてくれるから楽だわ」って言ってました。 当時は熱中できることが見つかってよかった、好きなことを思いきりやらせてあげよう、とだけ考えていました。 お話・お写真提供/高田敦子さん 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部 「上の子と同じように、問題なく生まれてくる」と考えていた娘に、ダウン症という先天性疾患があると告げられ、「思考が停止した」と言う敦子さん。でも、実母の言葉で気持ちを切り替え、美貴さんの早期療育に力を入れることにします。そんな中、美貴さんは将来の仕事となる絵と出会いました。 インタビューの2回目は、保育園から小学校時代の美貴さんの様子について聞きます。 「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。 ※高田敦子さんの「高」の字は、「はしごだか」が正式表記です。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●記事の内容は2024年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。
たまひよ ONLINE編集部
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