生後1カ月でダウン症と告げられた娘。「美貴は金の卵、きっとすごい子になる」という実母の言葉に励まされ【体験談】
早期療育は子どもだけじゃなく、親にとってもかけがえのない時間
――気持ちを切り替えたあとのことを教えてください。 敦子 次の日から、美貴のために何ができるのかを調べ始めました。その結果、ダウン症は早期療育が大切だと理解したのですが、美貴が療育を受けられるのは、いちばん早くても生後4カ月からだということもわかりました。まだ2カ月も先です。療育を始められるまでは美貴のもつ障がいを個性として受け入れつつ、上の子たちと同じように育てようと決め、ごく普通の日々を過ごしました。 ――4カ月から始めた療育では、どのようなことを行いましたか。 敦子 ダウン症の全身健診やフォローを診てもらっている病院の隣に、ダウン症の子どもたちのための教室があり、そこに月1回通い、その後、並行しながら地域療育に通いました。 タウン症の子は、舌を口の中で滑らかに動かすことが苦手、手の指の筋力が弱くて力加減のコントロールが苦手、といったことが多いんです。 美貴は療育で姿勢・運動をはじめ発達全般のサポートを受け、私は美貴へのかかわり方や離乳食の食べさせ方などについて教えてもらいました。親子ともにすごく貴重な時間となりました。 美貴は美貴のペースで発達していくんだ、ゆっくり発達するのは、子育てを楽しむ時間を長くもらっているということなんだ、と考えられるようになったのは、療育の先生方のおかげです。現在も先生方と仲がよく、連絡もとらせてもらっています。 ――早期療育では、同じ境遇の子どもをもつママたちとも話せたのでしょうか。 敦子 はい。ダウン症の子どもをもつママたちと知り合えたことは、私にとってとても大きなことでした。今のようにSNSで簡単にママ同士がつながれる時代ではなかったので、療育に通うようになり、いろいろな情報交換ができるようになりました。 療育に通い始めたら、同じ境遇のママがいっぱい。心の葛藤(かっとう)と向き合ったことがあることもわかり、「私だけじゃないんだ。みんな同じ思いを抱えていたんだ」って、気持ちがすごく楽になりました。早期療育の教室は、美貴だけでなく私にとっても、とても大切な場所になりました。
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