元ファンドマネジャーが振り返る「投資判断をしくじる確率が高い」タイミングと「目に見えないもやもやのお金的な正体」とは
不浄なもやもや、その正体は?金融目線で言うとすごくストレートで
普段の生活の中で目に見えないものは見ない、と決めてもやもやを無視する方法もあります。だけどこの主人公は、サイキックであることでそのもやもやに気づいてしまいます。 気づいてからどうするか決める方法もありますが、そこはさすがに下町気質、それに寄り添って、周りの協力を得て、自分なりの解決に向かうのです。 その際に鍵になっているのが先ほど出てきたおじさん(知恵の象徴)とかお母さん(論理の象徴)で、それぞれが自分なりの解決に貢献してくれます。犬と彼氏は何の象徴でしょうか、2人も考えてみてください。 さて、僕の専門は金融です。この「不浄なもやもやしたもの」、これが僕には「リスク」に見えます。 金融の世界では価格変動そのものをリスクとみなしますが、人生においてはライフプランに対する下方の不確実性がリスクなのでしょう。未来のことはわからない、とリスクを無視する方法もありますが、これはいつか発生する事柄だ、と考えて、いつ起こるかわからないけれど準備する方法もあります。 リスクには2つの種類があります。1つは自分に起因するリスク、もう1つが他人に起因するリスクです。 自分に起因するリスクは対応が難しくありません。自分がどんな間違いをしやすいか癖を見つけましょう。例えば僕はお酒を飲んで深夜に投資判断すると損をする確率が高いので、気分が盛り上がっていても翌日まで売買の執行をしないことにしています。 一方で難しいのが他人に起因するリスクです。よーく見てみるともやもやが感じ取れることもありますが、レアです。世の中のほとんどは普通の人で構成されていますが、中には平気で嘘をつく人、人を騙そうとする人、陰謀論で全てを片付けようとする人が混ざっています。
見た目やお金に惑わされず、冷静に「もやもや」を判断するには
授業がオンライン対応に、会社が在宅可にと、人と接する機会を減らしても生きていけるようになりました。それでも小さな失敗を繰り返しながら、諦めず人と接してゆくのが大事です。他人に起因するリスクを判断するには、他人と接する経験が重要だからです。 昔は書を捨てて町に出よう、と言われましたが、2人にはスマホを持って街に出よう、と言いたいです。 人生って、冒険とか職業的成功とか、自己目標達成とか、世界一周旅行とか趣味に没頭とか、いろんなタイプの経験を積むことができるんだけど、この「判断するための経験」は人との出会いで磨かれます。だから、サイキックではない2人には、人と会い、話し、何かを感じ取る機会を無限に増やす努力をどうか放棄しないでほしいんだ。 ばななさんは恐らく生まれ持った才能に加えて、誰かとの出会いと対話を無限に繰り返し続けてきたからこそ、人物の内面を描き出す精緻さに深みが増しているのだと思います。表現そのものは若いころのままのみずみずしさなのにね、無限の命みたいだね。