早慶で「サークルに青春を捧げた男」驚きの20年後 早稲田実業中退→大検→経産省の官僚、そして現在
また、イベサーではパンフレットも作って自分たちの顔も載せていたので、まわりにもどんどん知られていくんですよ。渋谷にいるだけで知らない人から声を掛けられることもよくあって、そういうのって高校生の頃はちょっと嬉しいじゃないですか。ストリートでの立ち位置が上がっていく感じもして楽しかったです」 イベサーの活動が活発になるにつれて自己肯定感もどんどん上がっていった。自分が有名になっていろいろなところで顔が利くようなる喜びや影響力、権力欲もあったかもしれない。
また、学校では劣等感を抱いていたぶん、イベサーをやることで承認欲求が満たされるような感覚もあった。 ■無期停学から退学、そして・・・ しかし、イベサーの活動に精力を注ぐ一方で、高校生活には精力を注げなかった。 「イベサーが楽しくて家に帰らないか、帰っても終電で帰ることが増えました。朝は当然起きられないので、昼過ぎに学校に行くこともしょっちゅうでしたね」 さらに、学校では素行の悪さも目立っていた。当時の依田さんはピアスを10個以上あけている、既定のセーターを着ていない、髪の毛が長く染めているなど、決定的な大きな悪さや違反はなかったというが、普段の態度の悪さが積もりに積もり、高校1年生の冬に学校から10日程度の停学を言い渡される。
その間、学校から毎日、反省文を書くように言われたが、依田さんは拒否。その結果、無期停学が1、2カ月程度続いた後、出席日数が足りずに留年となった。 その後、2回目の1年生を過ごす中、しばらくは頑張って学校に通っていたが、夏休みがあけた9月。またもや素行の悪さから無期停学に。その間、ここから再度進級することは難しいと考えて、自ら退学することを決めた。 退学することに迷いはなかったし、学校を辞めた後も落ち込むことはなかったという。「学校を辞めても自分にはイベサーという居場所がありましたし、イベサーでルーティンとしての仕事があったので暗くならずに済んだような気がします」と語る。