早慶で「サークルに青春を捧げた男」驚きの20年後 早稲田実業中退→大検→経産省の官僚、そして現在
元々、好きか嫌いかがハッキリしている性格で、勉強ができないと自覚した途端、学習に対する意欲を無くしてしまった。気づけば劣等生として扱われ、成績は1学年200人中下から3番目。当初、中学から付属の高校には99%以上進学できると聞いて入学したが、本当にスレスレのラインでなんとか高校進学できることになった。 ■高校1年で「イベサー」にハマる 無気力気味だった依田さんだが、高校に入ると、彼の人生に大きな影響を与える活動に出会う。当時、全盛期だったイベントサークル、通称イベサーだ。
イベサーとは1990年末期から2000年代初頭にかけてクラブイベントなどを主催していたサークルで、渋谷を中心に何十~何百と活動するサークルが存在した。複数の学校で構成されるグループや、地元のメンバーで結成されるもの、サークルによって属性も特徴もマチマチだったが、参加者には進学校やエスカレーター式の付属校に通っている学生も多かった。 依田さんが先輩に誘われてイベサーに入ったのは高校1年生の7月頃。当初5人だったイベサーに依田さんが加入すると徐々に人数が増えはじめ、気づけば50人規模のイベサーに拡大。10人程度のイベサーもある中で、50人規模の人数が集まる団体は、高校生のイベサーとしてはかなりの大所帯で、巷では有名な団体の一つだったと語る。
イベントの頻度は約3カ月に1回程度。週2回はみんなで集まってミーティングしたりイベントの準備をしていたという。1回イベントを主催すると場所代やその他経費で100万、多いときは200万ほどかかることもあり、自分たちのイベサーだけでイベントを開くこともあれば、他のイベサーと合同でイベントを開くこともあった。大規模なイベントになると参加者が1000人、2000人となることもあったという。 「学校とは違う世界が広がっていました。渋谷センター街に行けば約束をしなくても友達がたくさんいるし、センター街のマクドナルドや当時はロッテリア、今はバーガーキングになっている店とか、ファーストフード店は高校生の溜まり場でしたね。