抹茶スイーツの原点は、茶だんご? 京都・宇治で誕生した「日本独特の茶文化」
写真:「碾茶(てんちゃ)」の茶葉を育てる、覆下(おおいした)栽培の茶畑。現在は専用の黒い布で覆うが、かつては葭簀(よしず)が使われた。宇治川沿いの「お茶と宇治のまち歴史公園」内にて。畑の向こうに見える黒い屋根の施設は、地域の茶文化の発信もしている交流館「茶づな」 【写真】宇治川餅本店の茶だんご。左の色が濃いだんごは、ほうじ茶を使ったもの。苦味が少なくて香ばしいので、小さい子どもにも人気 あのまちでしか出会えない、あの逸品。そこには、知られざる物語があるはず!「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。 古くから高級茶の代名詞「宇治茶」とともにあった茶どころ、京都府宇治市。現在も、宇治橋周辺の中心市街には茶の老舗が集まり、昔ながらの店構えが風情を生み出している。 その町に近年、目立つのが抹茶スイーツを扱うショップである。和菓子だけでなく、洋風のケーキやクッキー、かき氷やソフトクリーム、多様な商品が国内外の観光客の手に取られ、さながら抹茶カラーに町が染まるようである。そして、そのような宇治で静かに存在感を示すのが名物「茶だんご」である。その背景を抹茶の歴史とともに探った。 【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】 昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。 【(編者)歴史街道推進協議会】 「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。
時代とともに進化してきた、茶と喫茶の仕方
ひと言で「茶」といっても、現在は日本国内だけでも多種多様なものが飲用されていて、そのイメージも人それぞれかもしれない。しかし、やはり基本は「茶の木」から採った葉を乾燥させ、熱い湯に入れて喫するものである。 もともとは紀元前より中国で飲まれ、その文化導入とあわせて、日本では世界の他の地域より比較的早くから飲用されてきた。ただ、導入時期ごとに喫茶方法に移り変わりがあり、独自の進化も生まれたのであった。茶だんごなどの抹茶を食材とする「食べる抹茶」もその進化形の一つといえよう。