アバンギャルドは死語か ヨウヘイオオノが提示するファッションの可能性
「前衛」や「先端」を意味するアバンギャルドという言葉。シュルレアリスムに代表される、従来の芸術を超越しようとする試みを指す言葉として用いられるが、経済的閉塞感によるものか、プレタポルテが誕生して70年余りで既成服デザインが出尽くしてしまったからなのか、特に国内のウィメンズファッション市場は消費者の保守的嗜好に伴い、作り手も新しさを追求せず、コンフォートやコンサバティブなデザインに引っ張られる傾向が強まっている。 【写真】ヨウヘイオオノの新作 アバンギャルドはファッションにおいて最早死語か。そんな中、大野陽平が手掛ける「ヨウヘイオオノ(YOHEI OHNO)」は逃げも隠れもせずアバンギャルドを真摯に追い求める。従来のファッションを越境しようと、2025年スプリングコレクションは新たなデザインアプローチとして、現代における”本当”の意味でのリアリティとは何かを模索。一見、コンフォートやコンサバティブと隣接しそうなリアリティという概念を、リアルクローズという安直なアウトプットで処理することなく、興味が点在している現代人の本質を捉えるべく、大野自身の興味や関心に向き合いコレクションを製作した。
直近の2024年春夏コレクション、2024年秋冬コレクションは、過去の憧憬とも言える、ファッション業界に対して感じていた学生時代の気持ちをコレクションに反映した。それも大野にとっての紛れもないリアリティであった一方で、昨夜見た青春ドラマの話で盛り上がることが少なくなったように、今季は興味関心がまばらに分布していることに現代人のリアリティを見出す。 コレクションとは、その名の通り一つにまとめ上げること。ただ今シーズンは、点在したデザインソースをバラバラのままフラットに並べる。大野が手掛けた映画「箱男」の衣装や関西万博「住友館」のユニフォームに加え、大野が最近よく観るという黒沢清の「Chime」をはじめとするホラー映画、ベトナム......脈絡のなさは見るものにとって分かりにくさに繋がるが、分かりやすさが主流の現代において、大野は敢えて”はてな”がつくことを肯定する。恐怖と芸術の定義が近似していることにもあるように、分かりにくさ=怖さの体現は、ついぞ見る機会を失ったアバンギャルドを追い求める作業となった。 逆手にとってきた歴史もあるが、パリを中心とした欧州から見れば日本というだけでカウンターカルチャーに収斂(しゅうれん)されてしまう日本国内のファッションブランドにおいて、ヨウヘイオオノはより自由なクリエイションに挑む。ジャケットに代表される大野らしい曲線美のフォルムは今シーズンも健在。生地をつまみ、ドレープが入った鹿の子ポロシャツドレスや、花弁が咲いたように生地を重ねたミニスカート、襟口が鋭角に尖り、外衣トーガを着用した古代ローマ彫刻を思わせるドレープタンクトップなど、グローバルで見ても新鮮さを覚えるアイテム群が展示会で並ぶ。また、映画「箱男」のナース服から着想したドレス、ベトナムバッグの柄をイメージしたプリーツドレスなど、点在するインスピレーション源の中でも根底にヨウヘイオオノらしさがあるのは大野のパターンメイキングの手癖とカラーパレットセンスによるもの。 また3Dプリンタ専業メーカー ストラタシス・ジャパンと協業し、布地への「ダイレクト3Dプリント」の技術を活用したドレスを製作。2023年秋冬コレクションにも登場したカフカの目を3Dプリンタで出力したが、これは今回の2025年スプリングコレクションがヨウヘイオオノ10周年の節目のコレクションということで再登場させたという。なお、日本のファッションブランドがストラタシス・ジャパンの「ダイレクト3Dプリント」を活用したのは今回が初めて。 ここで現代人のリアリティとは何かという問いに立ち返ると、関心や価値観が多様化した現代社会では、互いが完全に理解し合うことは容易でないという事実が浮かび上がる。分かり得ないことが前提にある人々に向けて、矛盾を孕みつつニュートラルな「分かりやすさ」でファッションを表現するのではなく、作家性を用いて怖さが同居する「分からなさ」をストレートに表現する。それが点在する誰かの琴線に触れると、ファッションの可能性が広がると信じて、今シーズンのヨウヘイオオノは服をデザインした。 上辺を掬って奇を衒うだけがアバンギャルドではない。人の本質に触れ、心を動かすことができて初めて価値転換が生じ、アバンギャルドがアバンギャルドとして成立する。某セレクトショップでヨウヘイオオノが消化率90%超えの売れ行きを達成できるのも、女性の琴線に触れてこそ。硬直化する「分かる=好き」という価値観、翻って「分からない=嫌い」とすぐに切り捨ててしまう現代の病理に風穴を開けようと、社会の前提に"分かり得なさ"があるとした大野の着眼点は、漫画家の藤本タツキが「さよなら絵梨」で描いた、苦悩してモノを生み出す作り手(クリエイター)と、分からなければつまらないと切り捨てる受け手(消費者)の関係に通ずるものがある。ファッションクリエイションの可能性を広げようとするヨウヘイオオノの振る舞いが無駄にならないようにするためには、自戒を込めて、受け手が作り手と同等に本気で向き合うことが必要である。