「相場はゴッド・ノーズ」米価と格闘した若き日の怪物経営者 河合良成(上)
■河合良成(1886~1970)の横顔 明治19(1886)年、富山県生まれ。同44(1911)年、東京帝国大学法学部卒、農商務省書記官となる。大正8(1919)年、米騒動の後に退官。同年、東京株式取引所常務理事、同9年に東大経済学部講師を兼ね、日華生命(後の第百生命)、福徳生命各取締役に。昭和9(1934)年、帝人事件の災厄を経て満州国顧問、内閣委員など歴任。同17(1942)年に東京市助役、同20年、農林次官、同21年、第1次吉田内閣で厚生相に起用される。同22年、第百生命社長、小松製作所社長。同27(1952)年、衆議院議員に当選。同38(1963)年、京葉土地開発社長、この間政府委員多数、訪ソ使節団長を務める。著書に『取引所講話』『帝人心境録』『帝人事件』など多数。