“バスの街”の象徴「広島バスセンター」1974(昭和49)年に開業して50年 その前にあった“平屋”のバスセンターを知ってますか?昭和30~40年代の紙屋町交差点を行き交うバスやマイカー・人々の風景と共に振り返り【広島あのとき】
■1969(昭和44)年4月3日 全国初「7連式公衆電話ボックス」登場 こちらは1969年4月のニュース映像です。バスセンターの前の歩道に設置されたのは公衆電話ボックス。7つの電話ボックスがずらりと並んでいます。 当時のニュース原稿によると、全国で初めて「7連式の公衆電話ボックス」が設置された、と記されていました。 ■1970年代のバスセンターと紙屋町交差点 ■1970(昭和45)年3月23日 バスセンターと紙屋町交差点 1970年3月のバスセンターです。奥に見えているのは旧広島市民球場です。北側をみると当時はまだリーガロイヤルホテルなどの高い建物はなく、広島城が見えています。 紙屋町交差点を見ると、路面電車にバス、そしてこの時代になってくると多くのマイカーも行き交うようになっています。 当時の交差点には交通誘導員がいて交通整理を行っていた様子も確認できます。 ■紙屋町交差点には横断歩道 多くの人が地上を行き交う 変わらぬ県庁 ■1973年(昭和48)年撮影 バスセンターと紙屋町交差点 1973年に撮影された広島バスセンターです。このフィルム映像は、その後1990年代に入って映像会社による色補正の作業が施されたもので、当時の他の映像より色が鮮明な形で残っています。 同じ時期に撮影された紙屋町交差点です。若い方はご存じないかもしれませんが、交差点には2001年まで横断歩道があり、地上部分を多くの人が行き交っていました。 RCCの報道ヘリコプターから撮影した紙屋町交差点周辺の様子です。大通りを挟んで反対側に見える広島県庁の建物は現在と大きくは変わりません。 ■起工式そして開業へ オープン前から4000人の大行列 ■1973(昭和48)年3月22日 広島センタービル起工式 現在のバスセンターが入る「広島センタービル」の起工式を伝えるニュース映像です。当時の原稿では、1450平方メートルの敷地に、地上10階、地下2階のビルを建設。総工費は約100億円。改造計画から4年、都市交通体系の再編成などが絡んで難航していたなかでようやく起工したとあります。
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