元No.1カリスマホスト城咲 仁が44歳で“チャーハン修行”に打ち込んだ深い理由
店は継がないと家を飛び出して四半世紀、城咲さんは再び父親のもとで住み込みの修行に入った。 「毎朝4時半に起きて厨房に立ちました。親父は以前に比べて優しかったけれど、包丁の使い方から直されましたね。『真っ直ぐ立ちなさい、道具に思いやりがない』と。うちは醤油の煮方からチャーシューもすべて手作りなので一から学びました」。
この修行はどんな経験にも勝る、人生の学びだったという。 「親父の元で修行した2カ月で、僕の人間性は本当の意味で形成されたと思います。ごまかさず、ぶれず、曲がったことはしない。親父の仕事っぷりは生き様そのものでした。 僕自身、結婚して意識が変わったというのもありますが、親父はこんなに大変な仕事をして自分を育ててくれていたのかと思うと、改めてその偉大さを感じました。 あるとき、親父に飲食店で一番大事なことは何か?と聞かれたんです。僕は『お客さんの笑顔、美味しかったの言葉』と答えました。でも親父は『そうじゃない、仕込みだ』と言うんです。仕事の9割は仕込みで決まるんだと」。
「親父の言葉でハッとしたのですが、思い返せば自分も同じことしてたんです。ホストではその日来るお客さんを把握して、前回とネクタイが被らないように身なり整えて、喋る内容も万全に準備をしていた。TVショッピングの仕事でも工場に視察行って、製品を語れるようにあらゆる資格も取って仕込みに時間と労力をかけていたんです」。 幼い頃から父親の背中を見て育った城咲さんは、無意識にその姿勢を見習っていた。丸鶴の冷凍チャーハンも、十分に仕込みをした末に完成。全国の人が丸鶴の味を楽しめるようになった。 「10月19日(土)、20日(日)に地元の『第53回板橋区民まつり』で、妻と一緒に初めてチャーハン販売をする予定です。多くの人にチャーハンを味わっていただける機会に、今からワクワクしています」。
職業は「成立させ屋」。まずは丸鶴60周年が目標
城咲さんは「店を継いだわけではない」と言いつつも、現在、時間がある限り店に立っている。今後の展望をどのように見据えているのだろうか。