元No.1カリスマホスト城咲 仁が44歳で“チャーハン修行”に打ち込んだ深い理由
歌舞伎町のナンバーワンホストとして一世を風靡した城咲 仁さん。引退後はテレビショッピングのバイヤー兼実演販売士としてキャリアを築きながら、現在また新たな挑戦をしている。 【写真16点】「元No.1カリスマホスト城咲 仁が“チャーハン修行”に打ち込んだ理由」を写真でチェック それが父親が営む中華料理店「丸鶴」である。
店を手伝いながらも「継いだワケではない」という城咲さんにお話を伺った。
自立心の強い子供から、歌舞伎町のホストへ
東京都板橋区で産声を上げた城咲さん。両親は中華料理店「丸鶴」を営んでいたため、ひとりっ子の彼は子供の頃から自分のことは何でもこなしたという。 「灯りの消えた家に帰って自分で風呂を沸かして、ご飯は丸鶴に食べに行って、学校の準備をする毎日でした。風邪ひいたときでも自分でおかゆを作ってたし、3歳の頃から包丁を握ってたみたいです。寂しいというより、両親が朝から晩まで忙しくしてたので自分でできることは自分でやるという感じでした」。 高校を卒業すると父親から店を継ぐよういわれた。一度は店に立ったものの、半年後「 やっぱりやりたいこととは違う」と家を飛び出したという。 「当時は社会に出たかったし、両親が苦労する姿も見てきたので、この先自分の子供には店を継がせたくないという思いもありました。家を飛び出して、しばらくはバーテンダーのバイトやバンド活動をしていました」。
そんな城咲さんの転機となったのは友人の不幸だった。 「一緒にバンドをやっていた友人が、自殺しちゃったんですよ。それで仕事もバンドも手につかなくなって、実家に戻って酒浸りの毎日でしたね。 だけどある日、親父に『お前、腐ったな』と言われたんです。そのひと言がきっかけで、なんとか立ち直ろうと、以前一度行ったことのある『クラブ愛』に行ってたんです。面接を受けるつもりが、たまたま成人式のスーツを着てたので、人手が足らないから手伝うことになって……気付いたら働くことになっていました」。
「枕営業はしない」華やかな仕事の裏ではとことんストイックに
バーテン時代の経験を見込まれ、クラブ愛で働きはじめた城咲さん。出勤前に毎日4時間半、名刺を配って集客をし、わずか2カ月でナンバーワンホストに。その後も5年間連続トップの座を守り続けた。今なお伝説的として語り継がれる記録だが、その成功の裏には、自身に課したストイックなルールがあった。 「お客さんとは寝ない、外では会わない、タバコは吸わない、足を組まない、ピアスもやらない……ホストとして酒を飲んで喋るだけ(笑)。店の外で会えるなら、お客さんがホストクラブに来ないでしょう」。