子ども時代は本当に貧乏でそれがトラウマ。梅沢富美男が語る「子どもの貧困」の実情
節目節目で救ってくれた人がいて、人生が変わってきた
――両親不在で経済的に困窮。おばあちゃんや兄弟がいても不安ですね。周囲の助けはありましたか。 祖母は一生懸命でしたし、兄弟は助け合って暮らしていましたが、貧乏は解消できなかった。放っておけば僕自身グレてしまってもおかしくなかったと思いますが、そうならなかったのは周囲の人たちの人情のおかげです。 忘れられないのが小学校2年生の時、福島駅前にあるデパートでのこと。裏面が白紙なのでノートにするため、チラシを大量に持ち帰ろうとしたら警備員さんに見つかって連れて行かれそうになった。それを止めてくれたのが宇野さんという女性店員さん。子役の僕を知っていてくれたのが幸いだったのですが、ついでに貧乏だったことがバレた。 そしたら「家においで」って住所を渡してくれて、兄貴と二人で農家だった彼女の家に訪ねていくと、お米や野菜を「持って行きなさい」とリュックに入れてくれました。10キロぐらいはあったのかな、それを両手で抱えて、阿武隈川沿いを2時間かけて歩いて帰りました。ちょうど冬で、雪が積もっていて、靴下も履いていないし、一足しかない靴はパカッと前に穴が開いているから紐でぎゅっと縛って。逆に、靴底にかかった紐は雪道の滑り止めになるからちょうどよかった(笑)。 しかし寒かったですねえ。けれど食料を持ち帰ると祖母がすごくよろこんでくれて、これでご飯が食べられるかと思うと、気持ちがふわあっと温かくなって寒さも吹き飛びました。 ――ご苦労されていますね。 そういえばこんなこともありました。福島にいた頃、お金欲しさに自動車工場からくず鉄を持ち去ろうとして、従業員さんに捕まったことがあったんです。「こんなガキは警察に突き出そう」、するとそこの奥さまが「そういうことしちゃダメ。この子だってなにも人さまの物を盗みたくて来たわけじゃないでしょうし、きっと誘いに乗ってきたんだろうから勘弁してあげなさい」と制してくれた。で、僕の手をとって「いい? 坊や、人さまの物を盗むなんてことは」って言いかけたとたんハッと顔を見て、「トンちゃん?」。そして「うわぁ」って僕を抱きしめて泣いた。 たまたま彼女は母親の知り合いで、そこから「息子さんが苦労している。迎えに来てあげてください」と話してくれ、そのことがきっかけで僕はいったん福島を出て、群馬にいた兄に引き取られることになります。あの時諭されていなかったら、もしかすると僕だって悪い道へ流されていたかもしれない。愛情をもって叱ってくれるとわかります。あの時の奥さまの表情は今でも忘れられませんね。こうして節目節目で救ってくれた人がいて、そんな出会いで僕の人生が変わっていきました。