子ども時代は本当に貧乏でそれがトラウマ。梅沢富美男が語る「子どもの貧困」の実情
8月30日、政府は来年4月に発足する「こども家庭庁」の初年度概算要求額を4兆7510億円と発表した。喫緊の課題のひとつに7人に1人とされる「子どもの貧困」問題がある。物や情報が溢れ、豊かに見える現代社会だが、取りこぼされた子どもたちは大人や社会から見えづらい存在になっている。今回、子ども時代に貧困を味わったと明かすのは俳優の梅沢富美男さん(71)。目の前の困窮に、はたして救いはあるのか。子ども目線でどう映るのか。原体験を振り返りながら語ってもらった。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)
「子ども時代は僕にとって正直トラウマ。とにかく本当に貧乏でした」
――梅沢さんの子ども時代はどんな暮らしでしたか? うちは両親が剣劇一座をやっていて全国を巡業していました。僕は8人兄弟の7番目で五男。1歳7か月で初舞台を踏み「天才子役現る」と人気にもなって、みなさんから「トンコ」「トンちゃん」という愛称もいただいた。それほど当時は大衆演劇が盛り上がって華やかだったのですが、やがて映画やテレビに押されて衰退してしまう。 そこで経済的事情と、父が役者でも義務教育はきちんと受けた方が良いという考えから大人は地方巡業、子どもたちは福島の祖母の家でばらばらに生活するようになりました。 その時の暮らし、子ども時代は僕にとっては正直、トラウマです。とにかく、本当に貧乏でしたね。いい思い出がほとんどなかったからこれまであまり話したことはないし、以後、過去は振り返らないのが僕の信条になりましたね。 いつも空腹で、ご飯は朝昼晩食べられなくて一日一食がいいとこ。こういうものが食べたい、ああいうものが食べたいって年がら年中頭の中で想像していました。当然家にお金はないから、給食費が払えない。今とは違い、当時は給食費を払ってない子どもに給食は出してもらえなかったので、お昼になると先生が気をつかって「富美男、ちょっとおいで」と手招きして、教室の外に誘導してくれるんです。その時は僕だけじゃなくて他にもそんな生徒がいたので少しだけホッとしましたが、やっぱり傷つくし卑屈な気持ちにもなります。 そしてなによりつらいのは、ずっとお腹が空いていること。けれどお金がないからしょうがない。「金持ちと違って、うちはそもそも貧乏なんだ」と何度も自分に言い聞かせていましたね。 ――なぜ貧乏なのかと思いませんでしたか。 子どもですし、わかりませんでしたね。両親は不器用ながら必死で頑張っていたと思います。どうにもならなくて仕送りも滞っていたのでしょう。けれど子どもは大人の事情がまったくわからない。ノートや鉛筆が買えない。習字や絵の道具もない。遠足や運動会でうちだけ弁当がない。なんでこんなに貧乏なのか。それと、なんで自分とこだけ親がいないんだ、と。人恋しさのあまり、両親を恨んだことは覚えています。 大人になって事情が理解できるようになりましたが、それを踏まえたうえであえて言わせてもらうと、なるべく子どもにはそんな寂しい思いはさせてはいけないと思いますね。百歩譲って、できないならできないでいい。しかし、その事情を親の口から子どもに伝えるのが一番大事だと思います。 子どもって頭がいい。良し悪しはちゃんとわかりますし、親の言うことは聞きますから。愛情も受け止めるし、その愛情を返そうともする。「実は、うちはこうなんだからこうなのよ」と噛んで含めるように話してあげれば、子どもなりに理解してくれるもの。 昔気質のうちの両親はそこまで気が回らなかったけれど、幼い僕が望んでいたのはその説明だったかもしれません。だから今子育てしている親御さんにはぜひそうしてほしい。大人だからとか、子どもだからとかじゃなく、家族としてコミュニケーションしてほしいですね。ちゃんと話せば、きっとわかりあえますよ。