【山口組分裂抗争】ついに8月27日で10 年目に突入 …「終幕へのカウントダウン」驚愕シナリオ
血塗られた戦いが、ついに最終局面へ差し掛かろうとしている。 ’24年8月27日で10年目に突入する「山口組分裂抗争」。司忍組長(82)率いる六代目山口組と、井上邦雄組長(76)率いる神戸山口組の間で行われている″戦争″は異例の長期戦となっている。 【画像】9年間を写真で振り返る 山口組分裂抗争史「激動の軌跡」(写真12枚) FRIDAYはこの抗争を発生当初から取材してきた。節目を前に、膨大な秘蔵写真とともにその軌跡を振り返りたい。 ◆分裂のキッカケ すべての始まりは’15年8月27日だった。『山口組分裂の真相』などの著書があるノンフィクション作家・尾島正洋氏が当時の内幕を明かす。 「’05年に六代目山口組に代替わりしてから、上納金に加え、盆暮れの挨拶などでも5000万~1億円というカネの徴収が行われて、井上組長を中心とした一部の直参たちに不満が募ったことが分裂のキッカケと言われています。抗争の転機となったのは、’19年10月の高山清司若頭(76)の出所。高山若頭はそのカリスマ性と冷徹さで組員を厳しく統制した。 その影響もあってか、出所直前には神戸山口組傘下組織の組員二人が射殺される事件が発生。さらに11月には六代目側の元組員が自動小銃を乱射して神戸山口組幹部を殺害する残忍な事件もあった。猛烈な攻勢に加え、神戸山口組は中核組織も相次ぎ離脱し、勢力が縮小。当初は六代目山口組の構成員が約6000人、神戸山口組は約2800人が在籍していたが、’23年末時点では六代目山口組が約3500人、神戸山口組が約140人と、両陣営の戦力差は大きく開いています」 100年を超える山口組の歴史の中で、今まで最長とされる「山一抗争」でさえ、4年8ヵ月で一旦の幕引きを迎えた。「山口組分裂抗争」は、その倍近くなっているが、事態は終結に向け、動き出そうとしている。暴力団事情に詳しいジャーナリストの溝口敦氏は展望をこう見る。 「抗争が10年も続くというのは、当事者たちの無力さを喧伝するようなもの。体裁のためにも、終結させないといけない時期だと思います。加えて、六代目側は功労者である高山若頭の体調という懸念事項もある。彼が元気なうちにケジメを付けるならば、近いうちに何かしら動きがあって然るべきだと思います」 抗争終結を推し進める要因はほかにもある。 「今年7月上旬に、大阪府警が池田組組長と絆會会長を揃って逮捕したんです。両組織はかつて神戸山口組に在籍し、現在も神戸とともに六代目山口組への敵対姿勢を明確に打ち出している名門ヤクザ。二人とも7月末に釈放されましたが、警察関係者からは『秋には、兵庫県警が絆會会長を別件で逮捕し、起訴まで持ち込むことを狙っている』という噂も聞こえてきます。仮に絆會会長が逮捕となれば、神戸側も含め、弱体化は免れません」(全国紙社会部記者) ◆「命を取るまで終わらない」 水面下では和平交渉も進められてきたとの情報もあるが、神戸山口組の井上組長は「たとえ一人になっても降伏しない」と、頑(かたく)なな姿勢を崩していないという。そんななかで、終幕に至るシナリオにはどのようなものがあり得るのか。溝口氏が挙げるのは、六代目山口組が一方的な″抗争終結宣言″を出すことだ。 「神戸山口組との協議なしに記者会見を開いて『終結しました』と宣言してしまうんです。山口組は『大阪戦争』(’75年7月~’78年11月)で同様の手段で争いを終わらせています。山口組に攻め込まれて手も足も出せない状態だった相手陣営は、宣言が決定打となり組が瓦解してしまった。今回も、その再現を狙っていても不思議ではありません」 六代目山口組陣営では、終結を見越した動きも着々と進められている。昨年11月、六代目山口組の直系2団体に異例とされる『総裁制』の導入が行われた。先代組長が総裁として残り、新組長とともに組織を見守るというものだ。これは六代目山口組に『総裁制』を導入するための布石だという。 「六代目山口組としてはすでに大勢は決していると見とる。あとはどうやって組員の血を流さずに争いを収めるか、そして終結後の体制作りに向けられとる。 総裁制を導入すれば司組長を組に残したまま、高山若頭を七代目にすることができる。抗争を終結させ、新体制を発足させられれば、10年に及んだ抗争の区切りには相応しい。幹部たちは高山組長誕生に諸手を挙げて賛成する人ばかりやから、組内に支障はない」(山口組に詳しいジャーナリスト) 溝口氏も総裁制導入については「十分あり得る」と語る。『抗争終結宣言』で無血降伏させ、新体制を推し進める……。六代目山口組の狙いはそこにあるのかもしれない。しかし、神戸山口組も黙っているわけではない。昨年4月には、絆會若頭が六代目山口組傘下組織の組長を銃殺する事件が起きている。反撃する力がまだ残っているとなれば、最後に多くの血が流れる可能性もある。 「仮に『終結宣言』を出すとして、井上組長が受け入れるとは思えん。追い詰められれば、最後の力を振り絞って反撃に打って出る可能性は十分ある。六代目山口組としても最終目標は井上組長の命を取るか、引退させるかなのは変わっとらん。何があってもおかしくない緊張状態だが、いずれにしても幕引きは遠くないだろう」(前出のジャーナリスト) 今回の分裂抗争では100件以上の事件が起き、50人以上の死傷者が出た。多くの犠牲を払った抗争は、ついに終わりの時を迎えようとしているのかもしれない。 ◆山口組分裂抗争史「激動の軌跡」年表 ’15年8月27日 山健組・井上邦雄組長ら直参13人を中心に、「神戸山口組」が結成される。構成員数は「六代目」が約6000人、「神戸」が約2800人となった ’16年5月31日 「六代目」弘道会幹部によって「神戸」池田組の幹部が射殺される ’16年7月15日 「六代目」弘道会系幹部らによって「神戸」山健組系幹部が射殺される ’16年8月19日 「神戸」池田組系組長らによって「六代目」傘下組織の元組員が刺殺される ’16年9月29日 「六代目」司忍組長と住吉会・関功会長(当時)、稲川会・清田次郎会長(現・総裁)が『友好親睦食事会』を開催。任侠界のトップが一堂に会したことで″ヤクザサミット″と呼ばれた ’17年4月30日 「神戸」から織田絆誠若頭代行らが離脱。任侠団体山口組(現・絆會)が設立される ’19年10月10日 実話誌カメラマンを名乗った「六代目」弘道会傘下組織の幹部によって、「神戸」山健組系組員二人が射殺される ’19年10月18日 「六代目」高山清司若頭が府中刑務所を出所する ’19年11月27日 「六代目」傘下組織の元組員によって「神戸」傘下組織組長が射殺される。自動小銃から放たれた13発の弾丸が体を貫通。文字通り″蜂の巣″にされての殺害だった ’19年12月3日 「神戸」山健組・中田浩司組長が「六代目」中核組織である弘道会組員への銃撃事件(発生は’19年8月)の実行犯として逮捕される ’20年7月 「神戸」から中核組織である五代目山健組(中田組長)、最高顧問を務める池田組・池田孝志組長が離脱する ’22年9月8日 「神戸」井上組長のもとを池田組・池田組長が訪問。対等な関係を結ぶ。池田組と強固な関係にある絆會とともに、3者と「六代目」との対立が深まる ’22年10月26日 「六代目」へ合流した山健組系幹部によって池田組・池田組長が襲撃される ’24年1月 ’23年末までに起きた抗争事件は100件を超える。最新の構成員数は「六代目」が約3500人、「神戸」は約140人 ’24年6月7日 絆會・金澤成樹若頭が「六代目」弘道会傘下組織組長の射殺事件(発生は’23年4月)の実行犯として逮捕される 『FRIDAY』2024年9月6・13日合併号より
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