夏の甲子園、1982年の「幻の完全試合」 史上初の“快挙”はこうして消えた!
「27人目の打者」だった世永氏の回想
筆者は1998年初夏、高校卒業後、就職して福島県いわき市にいた27人目の打者・世永氏を取材する機会に恵まれた。 「できればヒットを打って塁に出たかったけど、今ではいい思い出です」と回想した世永氏は、当時西武でプレーしていた新谷についても、「会ってみたいし、ゲームも見てみたいな」と答えた。 くしくも西武は1ヵ月後にいわきで日本ハム戦を予定していた。筆者は親交のあったスポーツ紙関係者に「もし、いわきで再会のチャンスがあれば」と西武番記者への伝言を頼んだが、新谷はこの試合の4日前に先発したため、いわきでの登板はなくなった。 あれから40年以上経った今でも、両者の脳裏には、あの試合のあの瞬間が、甲子園での最も印象深い思い出として、鮮明に記憶されていることだろう。 夏の甲子園では、完全試合はもとより、ノーヒットノーランも第80回大会(1998年)の横浜・松坂大輔を最後に四半世紀以上も途絶えている。低反発バットが導入され、投手有利といわれる今大会で、新たなドラマは生まれるだろうか。 久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。 デイリー新潮編集部
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