いま明かされる、阪神・藤川球児新監督の「火の玉ストレート」を生んだ2つの「意外な要因」
故障したことで生まれた剛球
まさか自分が戦力外候補者にあげられているとは思わなかったが、岡田新監督のもとではじまる2004年のシーズンが正念場となることは、僕も自覚していた。 それまでの5シーズンの通算成績は、48試合に登板して、2勝6敗だった。夏には24歳を迎える。もはや、育成中の選手とはいえなかった。 だが、春先から僕はつまずいてしまった。春季キャンプ中、またも肩を故障したのである。プロ入り以来、ほぼ毎年、僕は体のどこかを故障していた。 われながら、これほど故障が多い選手は使いづらいだろうなと思った。課題であったスタミナ作りも重要だが、いかに故障を防ぐかということも、そのころの僕にとっては優先課題のひとつといえた。 面白いもので、そうした意識でいたことが、「火の玉ストレート」の誕生につながった。 つまり、故障を防ぐための工夫が、結果として、僕のストレートの質を大きく変えたのである。 僕のストレートが、まるで突然変異を起こしたように目に見えて変わったのは、このころだった。 直接的な要因は、2つある。 ひとつは、投球フォームの修正である。 投球フォームの修正が成功したのは、2軍の投手コーチだった山口高志さんのおかげだ。 山口投手コーチは、僕の投球フォームに故障の原因がひそんでいると見ていた。「フォームの修正によって、肩や肘への負担を減らすことができる。やってみないか」。そう提案してくれた。2004年5月ごろのことである。 それ以来、山口投手コーチの意見を聞きながら、僕は慎重に投球フォームの修正に取り組んだ。 1か月ほど経って修正されたフォームが体になじんでくると、以前より力むことなく投球できることがわかった。 肩や肘への負担が減り、体力の消耗も抑えられていることが実感できた。そして、ボールにきれいなタテ回転がかかって、ストレートが異様に走り出したことにも気づいた。この回転が、打者の手元でホップするといわれた「火の玉ストレート」の特徴である。