【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 後編 伝説の自動車デザイナー、逝く
シトロエンBX(1982年)
何年もの間、ガンディーニ氏は角ばったコンセプトカーをデザインしてきたが、その多くが量産化には至らなかった。保守的な自動車メーカーにとっては先鋭的すぎたが、シトロエンは違った。直線デザインを全面的に受け入れたのだ。 GSAの後を継ぐべく誕生したBXには、ハッチバックとステーションワゴンの2タイプがあり、どちらも5ドアである。このクルマに求められたのは、軽量であること(ベースモデルで900kg)と高い信頼性であり、後者は「loves driving, hates garages(ドライブを愛し、ガレージを憎む)」という宣伝文句につながった。
ルノー5 Mk2(1984年)
550万代も売れた初代ルノー5の後継車を作るにあたって、コンセプトを維持しつつ、時代に合わせてリフレッシュすることが求められた。ガンディーニ氏は、初代のミシェル・ブエ氏のデザインをうまく1980年代にマッチさせた。 エアロダイナミクスを改善し、ボディシェルを強化し、グラスエリアを20%増やした。初代ほどのインパクトはなかったが、それでも販売面で大成功を収めた。
チゼータV16T(1988年)
1980年代後半、世界経済は絶好調だった。かつてないほど富裕層が増え、その需要を満たすために高級車メーカーが雨後の筍のように続々と誕生した。 その1つが、ミュージシャンのジョルジオ・モロダー氏が出資し、伝説的な自動車エンジニア、クラウディオ・ザンポーリ氏によって設立されたチゼータだった。究極のスーパーカーを作るべく、ガンディーニ氏がデザインしたボディにV16エンジンを "横置き" で搭載し、最高出力560ps、最高速度328km/hを謳った。 このスペックだけで、あらゆるライバルを打ち負かしたと言っていいだろう。しかし、チゼータが解散するまでにわずか20台ほどしか生産されなかった。
マセラティ・シャマル(1989年)
1970年代にシトロエンからマセラティを買収したデ・トマソは、BMW 3シリーズの対抗馬を作ることで販売台数を伸ばそうとした。その結果、信頼性が低く、高価で、見た目も平凡なビトゥルボが誕生した。 ビトゥルボの売れ行きは悪く、1980年代の終わりには、経営難に陥ったマセラティの株式の49%をフィアットが取得していた。その後、ビトゥルボをベースに、最高出力330psに強化した高級2ドア・クーペのシャマルが作られた。残念ながら、1989年から1996年の間に生産されたシャマルはわずか369台だった。