「私の取材が差別を生むのか」偏見の先に見えたデカセギ外国人2世の生き方
団地でみた現実の世界
翌日、田中さんに団地の中を案内してもらうことにした。総数150戸のうち約7割の世帯が、外国人定住者で占められており、その大半が日系ブラジル人だという。団地の近くにある保育園に勤務する、田中さんのお母さん・多美さんにも合流してもらって、あまり人気がない休日の東新町団地を歩いた。 私たちが歩いていると、団地の2階にある部屋のサッシが開き、洗濯物を抱えた女性がベランダに現れた。 その女性の部屋からは、大きな音楽が漏れ聞こえてくる。演奏中のライブハウスの扉を開いたような音量だ。洗濯物を干す女性は、リズムに合わせて身体を揺らしながら、物干し竿にタオルを掛けている。 「これって、ブラジルだと当たり前の光景なんですけど、日本だと近所迷惑ですよね」と、田中さんがうつむきながら話す。多美さんが「こういう生活習慣の違いがあるから、なかなか日本人には理解してもらえないし、近寄りがたいと思われてしまうんですよね」と相槌を打った。 団地の駐輪場にさしかかると、5人ほどの若者がたむろしている姿が見えた。「あの子たち、この団地に住んでいる高校生ですよ」と、田中君が教えてくれる。ブラジルで生まれて、小学校高学年で来日し地元の中学に通い始めたが、日本語が苦手で学校の授業について行けなくなり、ドロップアウトしたと聞く。本来なら高校に通っている年齢だが、バイトをしながらブラブラしているのだという。 地面に座って、ペットボトルの炭酸飲料を飲みながら、スマートホンを弄ったり、バイクを空ぶかしして暇をもてあましているようだった。ポテトチップスの袋から、たべかけの中身がこぼれて周囲に散乱しているがだれも気にしていない。 彼らは、年齢を重ねて行くにつれどういう人生を歩んでいくのだろうか。「日本語が話せなくても勤まる単純労働の仕事があるので、当面食べることには困らないんじゃないかな」と田中さんが話すと、「そういう仕事は、長く勤めても給料も上がらないし、体力勝負の内容が多いでしょ。30代、40代、と続けるのがむずかしいくなってくる」と、多美さんが付け加えた。さらに多美さんは、「ブラジルとの繋がりが残る私たち親の世代は、ブラジルに帰るという選択肢があるけど、日本で生まれた子どもたちや、ポルトガル語が十分話せない子は帰国するという選択肢も無い。行き場を失うのではないか」と言って不安げな表情を浮かべた。