「私の取材が差別を生むのか」偏見の先に見えたデカセギ外国人2世の生き方
多美さんは私に言った。 「もちろん本人の問題もあるけど、親が子供たちに学校に行って欲しいと思っているかどうかが大きいですね。日本を単なる就労の場所と考えて、語学習得や異文化への理解の大切さを教えなければ、子供たちも当然、苦しい思いをして日本語を覚えたり学校に行こうとは思わない。私たち外国人定住者が日本で幸せに暮らせるかどうかは、家族の理解と応援が大きく影響するんです」 田中さんも母親の言葉を受けてこう語った。 「僕たちの世代も、社会に出て結婚する人も出てきました。学校をドロップアウトして、工場のアルバイトで生活する若い男女が、同じような境遇の相手と結婚して子どもを生むケースもあります。日本語を話せない親が、限られたポルトガル語だけで子育てをはじめたら、当然その子供は日本語が話せなくなる。教育への理解が無い場合、学校にすら行けない可能性がある。それが本当に心配ですね」と わたしたちは団地を抜け、コンビニの駐車場にやって来た。 「そろそろアルバイトに行く時間なので」と田中さんが腕時計を見る。田中さんは高校時代から、自宅近くのファーストフード店で、放課後や休日のアルバイトを続けている。そうして、自らの学費を捻出してきたのだ。 そんな忙しい合間を縫って、田中さんは毎週のように学習支援教室に足を運んでいる。「同じ境遇の小中学生が僕を見て、アルバイトをしながら高校に行くことも出来るし、日系ブラジル人でも大学にも行けると感じてくれたらうれしい」というのが、田中さんのモチベーションになっている。「ぼくは周囲のサポートのおかげで、こうして大学に通うことも出来た。今度は自分より若い世代のために僕も応援する側に回りたいんです」。
先ほどの若者たちが、原付バイクにまたがって、異様に甲高いマフラー音を響かせて走り去っていった。日系ブラジル人の若者が、ヘルメットもかぶらずに改造バイクで連れだって。当初探していた「日系ブラジル人暴走族」そのものだったが、私の興味はもはやそこにはなかった。いまの時代を生きている、在日ブラジル人の若者たちの多様性や価値観を知りたいと思った。かつて雑誌のグラビアで見た在日ブラジル暴走族の若者たちの、あの鋭い眼光はどこかへ消え去っていた。 私は、田中さんの大学進学大きな影響を与えたという、日系ブラジル人の先輩の話を聞きたいと思った。