“引き出し屋”に1300万円で望みを託した母の闘い ひきこもりの息子は遠く離れた地で亡くなった
パンフレットには「365日24時間サポート」「就職・自立成功率 6ケ月までに95%」とも書かれていた。それを信じて、松本さんは総額約1300万円の“研修費用”を支払った。高額さに驚いたが、「元気な悠一にもう一度会える」と思うと惜しくなかった。お金は自宅を売って工面した。それなのになぜ、悠一さんは死ななければならなかったのか。 松本さんによると、悠一さんはおとなしく、優しい子どもだった。いじめや不登校の兆しも一度もなかった。友人にも恵まれ、高校時代の同級生たちは今も松本さんのもとを訪ねてくれる。高校卒業後は海上自衛隊に入隊。船上での集団生活にもなじみ、休暇で戻ってくるたびに体つきがたくましくなっていったという。
異変は自衛隊を退職後に勤めた会社で起きた。勤続5年が過ぎたころ、悠一さんは突然出社を渋るようになる。ある日、欠勤したと思ったら、その翌日には退職。松本さんは後に周囲から、息子が新しい上司からパワハラを受けていたようだと聞いた。そしてこのときは、これが長いひきこもりの始まりになるとは、みじんも想像していなかった。 一方でひきこもりといっても、悠一さんは自室に閉じこもることはなく、家族とも会話し、家事なども手伝っていたという。ただ前歯が抜け落ちても病院に行こうとしないなど、外部とのかかわりをかたくなに拒んだ。
この間、松本さんは夫とともに保健所や自治体の窓口、ひきこもりの子どもを持つ親の集まりなどに何度も足を運んだ。しかし、そのたびに「精神的な疾患はみられない」「無理に仕事をしろと言わないように」などと言われるだけ。焦りと孤独感がおりのようにたまっていく。気が付くと20年が過ぎていた。 ■「行政は何もしてくれないでしょう」という殺し文句 そして夫の病死。松本さんの中で将来の不安が一気に現実味を帯びた。そんなとき、インターネットであけぼのばしの広告を見つける。松本さんはさっそく東京・新宿の事務所に出向く。2017年1月のことだ。