「小説は論文と似ていると思っています」小説を通して提示される大胆な結論……「衝撃」を与えるには「秘訣」があった
科学論文を書くように、答えを追いながら小説を書いている
──『小説』を書くとき最も参考にした資料があれば教えてください。 今回は独自の進化論を提唱した学者、テイヤール・ド・シャルダンの著作を下敷きにしています。四年ほど前にシャルダンの著作をたまたま読み、内容に大きな感銘を受けたのが執筆のきっかけなので、順序としてはシャルダンとの出会いが先になります。シャルダン全集が十巻まであり、内容的には一巻のみでも『小説』の下敷きとして十分以上だったんですが、結局最後まで読んでしまいました。 ──別の作品を書くときに読んだ資料が後になって活かされることもあるのでしょうか。 なるべく広く活かせそうな概念を調べるようにしているので、他作品を書くときにこれまで得てきた知識を使うことはよくあります。逆に専門的な文献を調べても、役立つのは一度限りになってしまうことが多いので……。今回だとイギリスにある秘密結社「黄金の夜明け団」にまつわる本を何冊か読んだのですが、マニアックな知識なので他の作品で活かせるかはわかりません。参考文献を探すために図書館に行くことが多いのですが、個別の詳細に入り込みすぎずに物事の全体像をまとめた「総記」にはよくお世話になっています。 ──膨大な資料に基づいた結論を出すときに、気をつけていることはありますか。 個人の感情が混ざって恣意的にならないようには心がけています。なにをテーマに掲げて書くとしても、事実に即して間違いがないように詰めていきたい。個人的に、小説は論文と似ていると思っていて。論文は明確な答えを出して、それを基に次の研究者が新たな問題を提起して次につながっていきますし、自分は同じような印象を小説にも抱いています。「ここまでは答えがわかったけれど、この先はわからないな」というところまでは到達したい。そのうえで、他のだれかがその先を書いていってほしいなぁと。自分の見出した答えに一時的な感情が混ざっていると、次のひとが引用するときに意味のないものになってしまいますから、それは避けたいです。 ──なるほど。今回提示された結論を読んで救われたり、感銘を受けるひともきっといると思います。 作家から出る答えはすごく面白い一方、実験によって正しいと証明されたものではないので、何かの保証にするには危険なものだとも思っています。だから僕が救ったわけではないという事実はあったうえで、それでも救いになるのだとしたらそれはうれしいことです。