躍進続くサツマイモ:海外でも人気で看板商品に
久米 千曲
サツマイモの躍進が続いている。品種改良が進み、「ほくほく」「ねっとり」した食感で甘みが強いサツマイモが増え、秋の味覚だった焼き芋が冷やして食べる夏のスイーツとして支持されるなど、1年を通して親しまれるようになった。人気は海外にも広がり、日本の看板商品になりつつある。
各地で開かれるイベントの主役に「抜擢」
収穫の秋を迎え、サツマイモを主役にしたイベントが各地で目白押しだ。「おいも万博」は今秋、大阪、神奈川で開催され、静岡、島根、愛知、愛媛、岡山などで計画されている。静岡市では今年2回目となるイベントを11月8~10日に開く。静岡県内での「おいも万博」は今年3月にも開催されたが、来場者らから好評を得たため秋の開催にも踏み切った。同実行委員会は「甘さたっぷりの焼き芋から進化系のスイーツまでサツマイモの魅力を存分に引き出した商品をそろえた」と意気込む。 神奈川県川崎市でも11月1~4日に開催された「超芋まつり」では、全国から集まった15店が自慢のサツマイモスイーツを販売したほか、主催者の実行委員会が育ててきたサツマイモの収穫や仕分け作業などのワークショップも催され、楽しみながらサツマイモの魅力を伝える仕掛けをした。主催する「さつまいも博実行委員会」は「サツマイモは流行ではなく、もはや日本のスイーツの素材の定番になりつつある」と指摘する。
江戸時代に中国から持ち込まれ、国民的おやつに
人気が続くサツマイモはいつ日本にやって来たのか。農林水産省のサイトによると、サツマイモはメキシコを中心とする中南米の熱帯地域で生まれ、紀元前800~1000年ごろには中央アンデス地方で栽培されていた。15世紀の終わりにはコロンブスが米国から欧州に持ち帰ったものの気候が合わず栽培が進まなかったため、アフリカやインド、東南アジアなどの植民地に持ち込んで世界に広がったという。日本には、江戸時代の1600年ごろに中国から入った。琉球(現在の沖縄県)から薩摩(現在の鹿児島県)に伝わったことを受けて「サツマイモ」と呼ばれるほか、中国からの伝来にちなんだ「からいも」、中国での名称と同じ「かんしょ」とも言われる。 栽培の拡大とともに、消費のブームも起きる。サツマイモの情報などを発信する「さつまいもアンバサダー協会」で代表理事を務める橋本亜友樹さんによると、江戸時代中期に蘭学者の青木昆陽がまとめた「蕃藷考(ばんしょこう)」に心を動かされた8代将軍・徳川吉宗が飢饉(ききん)に備えるために生産を振興。1793年に現在の東京・本郷四丁目で焼き芋が販売されたのを機に爆発的な人気を呼び、第1次ブームに。その後、明治維新以降、人口が増加し東京に集中する中、安くておいしい食材として注目され第2次ブームが起きたものの大正時代に入り、洋菓子などに押されて下火になった。第3次ブームがやって来たのは1950年代に入ったころで、リヤカーで引き売りする石焼き芋に人気が集まった。「自宅近くに売りに来てくれる手軽さが受け入れられた」(橋本さん)ようだ。スーパーやコンビニの台頭で勢いが弱まったが、2010年前後に電気式の焼き芋機が登場し、第4次ブームが到来。加えて、ねっとりとした食感と強い甘みが特長の「安納いも」が火付け役となり、サツマイモの人気は続いているという。