PTAを苦しめる「昭和の義務」 著者3人が背景と解決策を徹底解説
山本 日本にまだボランティアの概念がなかった時代ですよね。 大塚 PTAへの加入方法も、民主的とは言いがたい形でスタートしました。米国のPTAは「ボランティア」、つまり参加したい人が参加する「自主的な活動」でしたが、当時の日本にそんな発想はなかったのでしょう。現場ではおのずと、昔から日本にあった「隣組」や「学校後援会」のように、「そこにいる人は、全員必ずやるもの」として始まったのでした。 岡田 日本人が持っている「義務」の認識でしょう。苦役や誰かの尻拭いをするといったネガティブな意味としてある感覚を「義務」という言葉が側面から支えてしまう。責任や義務という言葉に込められている心の習慣が、社会集団を運営する普通の大人たちのハートに影を落としているわけです。「みんなちゃんとやんなきゃいけないんだよ」っていうふうに。 山本 PTAは任意団体です。改革を進める中で「参加するのも自由、参加しないのも自由。だから運営はすべてボランティアでやりましょう」と訴えたら、PTA役員を長く務めた女性に言われました。「山本さんの考えは間違っています。子どもが通う学校に奉仕するのは親の義務です」と。 岡田 そういう規範が、どうして戦後も脈々と人の心に残っているのか。これは興味深い問題です。人間の個と共同体とはどういう基本関係なのか。平等とは連帯責任だ、苦しいことをみんなでシェアすることだというのは、ムラ社会ですよ。 山本 世間一般のPTAに対するマイナスイメージの原因は、「平等の義務」の概念から派生する「3本の『や』」にあります。「やらないといけない=義務感」「やらされている=強制感」「やらない人がいる=不公平感」。「3本の『や』がなくなれば、PTAはハッピーになる」。そう説くと、共感する保護者の輪が広がり、完全ボランティア制への移行が進みました。10年たった今も、ボランティア制で続いています。 ◇PTAは誰のもの