「まずい」「なんていうラーメンを出してるんだ」との声も…。山形県の超人気ラーメン店「新旬屋 本店」が、東京でのイベント出店で得た学びと、そこから“再生”するまで
2019年には「東京ラーメンショー」で最優秀賞を受賞し、さらに注目された。売り上げの3割を占めていた深夜営業をやめて朝ラーメンに切り替え、「煮干中華蕎麦 あらた」という店名で二毛作営業に、2020年には夜を「極中華蕎麦 ひろた」とし三毛作営業とし、さらに人気となる。 いよいよここからと張り切っていた中で新型コロナがぶつかる。東日本大震災以来の大ピンチに陥っている中、使われていない座敷席、小上がり席をやめ、思い切ってその部分を工場にした。
店を2カ月休業し、工場部分の建設と、コロナに合わせてお客さんが提供口に取りに来るセルフサービス方式に店のレイアウトを変更した。 「これが今はうちの財産になっています。コロナ禍でお店が営業できないときに、どうやってお客さんに旨いものを届けるかを真剣に考えたんですよね。お土産ラーメンや冷凍麺などはコロナ禍で生まれたものなんです」(半田さん) さらには乾麺に注目し、地元の製麺所・酒井製麺所で特注麺を作り、ワンタンメン「雲海」を提供。
お店で乾麺を使うという珍しい動きに驚いたが、この麺の唯一無二のしなやかさに業界は騒然となった。これがきっかけでお土産用の乾麺が生まれ、全国のラーメン店の監修商品の開発が始まっている。 なぜ、「新旬屋」が山形県民の人気No.1になれたのか。半田さんはこう振り返る。 「やっぱり『金の鶏中華』を毎年美味しくしていっているからだと思います。進化しないで守ることも大事なんですけど、美味しく進化させるということがもっと大事だと思っています。
老舗といわれて今も大繁盛しているラーメン屋さんって多分我々の知らないところで味が変わっていっていると思うんですよね。うちも毎年毎年美味しくなるように変えていったら、6割ぐらいのお客さんが『金の鶏中華』をオーダーしてくれるようになったんです。はじめは批判されていたものが、地元の方にもしっかり受け入れられるようになったんです」(半田さん) 半田さんは「東京ラーメンショー」に出店してから景色が変わり、山形県のラーメン自体をもっとアピールするべく、他エリアのラーメン店を巻き込んだ活動を通じて県全体でラーメンを盛り上げる動きを始めている。